各地での活動
インドネシア(~2013)
2004年12月26日に発生したスマトラ沖地震・インド洋大津波はアジアの国々を襲い、多数の未成年者を含む23万人の死者・行方不明者と甚大な被害をもたらしました。インドネシアのアチェでは多くの命が犠牲になり、親を亡くし心に傷を抱えた子どもたちのケアが必要とされました。
2006年5月に発生したジャワ島中部地震は発災後既に数年が経過しても経済面の復興は停滞したままで、特に青年層が安定した職に就いて、経済的に自立することが難しい状況にありました。
最新ニュース
- 2011.10.05夢に向かう若者たち、 インドネシアのユースセンターを訪ねて
- 2009.12.18あの津波から5年~バンダアチェ・インドネシア~
- 2009.11.25ユースセンターで学んだことを活かして
活動概要
支援期間 | 2005年1月~2013年2月 |
---|---|
活動地 | スマトラ島アチェ州、ジャワ島 |
支援内容 | 2005年1月~2006年6月 スマトラ島沖地震・津波被災者支援事業2006年6月~2009年11月 ジャワ島地震被災者支援事業(助成:ジャパン・プラットフォーム)2006年の大地震で被災した青少年対象にユースセンターを運営、青少年の自立を目的とする職業訓練を実施(~2013年2月)2007年10月~2008年6月 スマトラ島南西沖地震被災者支援事業(助成:ジャパン・プラットフォーム) |
支援対象 | 06年5月のジャワ島中部地震で被災した地域の青少年 【直接裨益者100名(2013年当時)】 |
支援内容
モバイルライブラリー(移動型図書館兼デイケア・センター)【スマトラ島】
スタッフが車で週 1 回ずつ各キャンプを巡回し、1週間ごとにプログラムを変えて年齢に合わせたプログラムを行いました。0 歳から18 歳の子どもたちが対象で、いずれも家や家族、親戚、友人を失っている。子どもたちの年齢の幅が広いため年齢ごとにグループに分けており、年少の子どもたちには本の読み聞かせやゲーム、塗り絵等、年長の子どもに作文やお絵描き、簡単な工作指導等を行いました。また、カウンセリングの一環として津波のときの体験や津波後の生活やできごとなどを話し合うこともプログラムに含み、心のケアに注力しました。
ビデオワークショップ 【スマトラ島】
■開催期間 : 2005年4月12日~5月8日
■参加者 : スマトラ島沖地震・インド洋大津波で被災した高校生14名(16歳~17歳の男女)
■完成作品 : 『12月26日、僕らの町は色を失った』(13分)
■内容 :
2004年末に発生したスマトラ島沖地震・インド洋大津波で、ビデオワークショップ参加者が通う高校では生徒1113人中249人もの生徒の命が奪われました。学校は、津波発生から1ヵ月後に再開されましたが、教室に集まった生徒たちは様変わりした学校と人数の減ったクラスに、再び津波時の悲しみが思い返されたそうです。被害の状況や精神的なショックはひとりひとり異なりますが、今回のビデオワークショップを通じて、津波に関する作品を協力して制作し、経験を共有することで、辛いのは自分だけではないことを理解しました。また、完成した作品をインドネシアの人々を始め日本の人々にも伝えたいという前向きな意識が養われました。
ユースセンター 【ジャワ島】
2008年の夏、株式会社パソナのご寄付によりバントゥル県のグロジョガン村にユースセンターを建設しました。その後、ジャパンプラットフォームと日本の皆さまのご支援によりジャンビダン村にもユースセンターを開設し、インドネシアの若者を支援する事業を運営してきました。2013年2月末まで、週5日間にわたりコンピュータークラス、英語クラス、裁縫コース、オートバイ修理コースなどが活発に行われました。KnKの支援終了後も、現地団体の手でセンターは運営されています。
国情報
インドネシアという国
マレー系の人々が多く大部分がイスラム教徒の国です。18,000以上の島から成り東西に長く伸びています。16世紀頃、香辛料を求めてオランダがやってきて植民地にしました。過酷な支配を受けたので、1910年頃からいくつかの島で民族主義運動が広がっていきました。 1949年にようやくオランダからの独立を果たします。独立後1965年までスカルノ大統領がナショナリズム路線をとり、その後の30年間はスハルト大統領が同じ様に独裁的な政権をしいて「新体制」と名づけましたが、崩壊(ほうかい)しました。1998年に民主化の時代を迎えます。国家のスローガンが「多様性のなかの統一」というように、文化も言葉も宗教も異なる様々な民族で構成されています。 人口の大多数が農村部に居住し農林漁業を営みます。独立後はゴム、コ―ヒー、砂糖などの一次産品から工業原料などへ産業構造の転換が図られています。1970年代からは石油輸出が拡大し貿易収支も黒字に転じました。人口は約2億4千万人です。
正式名称 | インドネシア共和国 / Republic of Indonesia |
---|---|
国旗 | |
面積 | 約192万平方キロメートル(日本の約5倍) |
人口 | 約2.70億人(2020年、インドネシア政府統計) |
首都 | ジャカルタ(人口1,056万人:2020年、インドネシア政府統計) |
時差 | 首都ジャカルタは日本より2時間遅れ。日本が正午の時ジャカルタは午前10時。 |
政体 | 大統領制、共和制 |
元首 | ジョコ・ウィドド大統領(2019年10月20日に再任、任期5年。) |
民族 | 約300(ジャワ人、スンダ人、マドゥーラ人等マレー系、パプア人等メラネシア系、中華系、アラブ系、インド系等) |
宗教 | イスラム教 86.69%、キリスト教 10.72%(プロテスタント 7.60%、カトリック 3.12%)、ヒンズー教 1.74%、仏教 0.77%、儒教 0.03%、その他 0.04%(2019年、宗教省統計) |
言語 | インドネシア語 |
気候 | 赤道直下の熱帯性気候のため、乾季と雨季のふたつの季節がある。 だいたい5月~10月が乾季で、11月~4月が雨季。 |
主な産業 | 製造業(19.8%):輸送機器(二輪車など)、飲食品など 商業・ホテル・飲食業(15.4%) 農林水産業(13.7%):パーム油、ゴム、米、ココア、キャッサバ、コーヒー豆など 建設(10.7%) 運輸・通信(8.9%) 鉱業(6.4%):LNG、石炭、錫、石油など 金融・保険(4.5%) 行政サービス・軍事・社会保障(3.7%) (カッコ内は2020年における名目GDP構成比)(インドネシア政府統計) |
GDP | 10,584億米ドル(2020年、世銀統計) |
一人当たりGDP | 4,349.5米ドル(2021年、インドネシア政府統計) |
通貨と為替レート | ルピア 1ドル=14,956ルピア(2022年7月1日、インドネシア中央銀行) |
「こんにちは」 | スラマッ シアン(10時~16時)、スラマッ ソレ(16時~日没前) |
「さようなら」 | スラマッ ジャラン(残る人が旅立つ人に)、スラマッ ティンガル(旅立つ人が残る人に) |
「ありがとう」 | トゥリマー カシー |
国と子どもに関するデータ
出生数 | 4,496千人 | 2021年 |
---|---|---|
5歳未満児年間死亡人数(1000人当たり) | 22人 | 2021年 |
若者(15-24歳)の識字率(男子) | 100% | 2013-2022年* |
若者(15-24歳)の識字率(女子) | 100% | 2013-2022年* |
初等教育修了率(男子) | 96% | 2010-2019年* |
初等教育修了率(女子) | 98% | 2010-2019年* |
中等教育修了率(男子) | 86% | 2010-2019年* |
中等教育修了率(女子) | 90% | 2010-2019年* |
高等教育修了率(男子) | 64% | 2010-2019年* |
高等教育修了率(女子) | 63% | 2010-2019年* |
児童労働(5-17歳)の比率(男子) | ー | 2013-2021年* |
児童労働(5-17歳)の比率(女子) | ー | 2013-2021年* |
*: データが、列の見出しで指定されている期間内に入手できた直近の年次のものであることを示す。
x: データが列の見出しで指定されている年次もしくは期間以外のもの、標準的な定義によらないもの、または国内の一部地域のみに関するものであり、地域平均や世界平均の算出には含まれていないことを示す。
y: データが標準的な定義によらないもの、または国内の一部地域のみに関するものではあるが、地域平均や世界平均の 算出に含まれていることを示す。
−: データなし。
【出典:世界子供白書2023】