活動ニュース

「子どもの権利」をどう守る?フィリピンの法律とNGOの役割

2019年は「子どもの権利条約」が国連で採択されて30年、そして日本政府が批准して25年という節目の年です。(1989年に国連が子どもの権利に関する条約を定め、日本は1994年にその条約に参加)

国境なき子どもたち(KnK)は、『広げよう!子どもの権利条約キャンペーン』に賛同しています。日本の18歳未満のみなさんは、自分や海外の子どもたちたちにどのような「権利」があるか知っていますか?

KnKが活動しているフィリピンは、日本よりも早い1990年に「子どもの権利条約」に批准しています。しかしながら、現在、フィリピンの「訴訟を抱える子どもたち」である、法律に抵触する子どもたちを取り巻く環境は「子どもの権利条約」が採択されてからもそれほど大きな変化はありません。フィリピンには子どもたちに関しての法律があるのですが、十分に施行されていないために問題が発生しています。

青少年鑑別所に収容された11歳の少年

フィリピンの子どもに関する法律の流れ

参考:
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8407340_po_02580111.pdf?contentNo=1&alternativeNo=

◆1974年、児童・青少年福祉法:

“法律に抵触する子ども”という概念がなく、大人子ども関係なしに“犯罪者”とされており、子どもは9歳~21歳だと定められていました()。児童労働や虐待などを含む総合的な法律でした。また、刑事責任年齢は9歳からであると制定されていました。
また、収容施設において子どもは大人と別に収容されるべきだとされていましたが、実際は大人と子どもが一緒に収容されていました。ドイツの写真家がその実態を撮影、子どもと大人が一緒に収容されていることが報じられたことにより、アロヨ政府が対応をとり、少年司法及び福祉法が制定されました。「子どもの権利条約」では18歳未満を子どもと定義している。

成人と区別なく刑務所に収容されていた

◆2006年、少年司法及び福祉法:

2006年8月にアロヨ大統領(任期2001‐2010年)が署名。この法律で少年司法が議論され、15歳未満は軽犯罪であれば本来は施設には収容されず、コミュニティで育てるという規定になりました。
少年の身柄を一時的に保護する施設として「少年拘置所」について記載されていましたが、しっかりと定義されていませんでした。この法律では18歳未満を子どもとして、刑事責任年齢も15歳からとしました。

◆2013年、少年司法及び福祉法の改正法:

この改正法で「少年拘置所」の名称がBahay Pag-Asa(「希望の家」)と変更され、運営主体や財源などが規定されました。以前の少年司法及び福祉法でコミュニティベースプログラムの概念も言及されていたが、定義されていませんでした。この改正法でどのように実施するかのガイドラインが記載され、NGOの役割に関しても記載されました。
KnKフィリピンではストリートチルドレンや法に抵触した未成年を支援する他、通学の困難な子どもたちに教育省が設けるノンフォーマル教育を提供しています。また、以前は高校を卒業しても大学に行くことや仕事を見つけることができない青少年にコンピューターや縫製のレッスンを提供していました。

今回、「子どもの権利条約」が作成された当時、その施行に現場で携われたKnKフィリピン代表、アグネス・ギャラルド・クイトリアーノ氏に「子どもの権利条約」について話を伺いました。

KnKのノンフォーマル教育を受ける少女

KnKフィリピン代表、アグネスへのインタビュー

Q1:「子どもの権利条約」草案作成当時のことを教えてください。

アグネス:「子どもの権利条約」は子どもの権利の専門家によるワーキンググループが1989年に草案を作成しました。のちに私のボスになるカウントウェル氏が1979年に立ち上げたDCI(Defense for Children International)という組織が、NGOながら「子どもの権利条約」の施行を監視しており、私も当時DCIで働いていました。

また、5年ごとに国が国連に提出するレポートとは別にNGOが補足レポートを提出していました。私たちは、そのなかで子どもが警察や拘置所の職員から不適切な扱いを受けて死に至るケースがあること、大人と子どもが分かれて収容されていないことなどについて当時、報告をあげました。

Q2:「子どもの権利条約」草案作成当時、フィリピンの子どもたちの現状を良く知る立場としては、どのような想いを持っていましたか?

アグネス:DCIを通して子どもたちの助けになれると思ったので嬉しく思いました。当時、フィリピンでは法律があっても十分に施行されてないという状況を見て落胆していたので、子どもたちの助けになれるのではないかと期待をしていました。

Q3:国連採択から30年経った現在、フィリピンの法律に抵触する子どもたち(CICL)を取り巻く環境はどう変わりましたか?

アグネス:今もなお、法律の施行が十分ではないと感じています。青少年鑑別所に行けば、法律が現場で十分に施行されてないことがよくわかります。また、法律に抵触する子どもたちの大半が貧困層かつ教育をあまり受けていない層で、路上で生活していたり、食べるものがないため盗みを働いてしまったりしてしまう社会の犠牲者ともいえるような子どもたちなのです。それなのに現在、刑事責任年齢を9歳に引き下げようとする動きがあり、昔の基準に戻ろうとしています。

路上で暮らす少年に聞き取りするアグネス

Q4:KnKが関わるフィリピンの子どもたちに、「子どもの権利条約」はどの程度浸透していますか?

アグネス:子どもたちが「子どもの権利条約」についてどれくらいわかっているかを測るのは難しいです。権利条約自体よりもむしろ団体の活動がどのように子どもの権利保護を実践しているかについて話したいと思います。
KnKフィリピンとしては、「若者の家」を通して保護の権利(子どもの権利条約:第19条)を、学校に通っていない若者たちに対するALS(ノンフォーマル教育)、個別指導プログラムで教育を受ける権利(第28条)を、コミュニティでの活動を通して防止の役割(第32条、33条、34条、35条)を、青少年鑑別所での活動や子どもたちの弁護に関しては第40条に該当する役割を果たしていると考えています。(「若者の家」は第27条、31条の役割も果たしています)

KnKフィリピンの活動に関連する「子どもの権利条約」各条文

認知促進を目的として、コミュニティの保護者に対して子どもの権利についてセミナーを行ったり、MACR(刑事責任年齢)の引き下げの反対のロビー活動を行ったりしています。また、子ども自身に対する啓発セミナーも実施してきました。

Q5:この30年で「子どもの権利条約」の果たした役割をどう評価されますか?

アグネス:「子どもの権利条約」を遂行するのは国の責任だと考えています。ただ、国は動きが遅いのです。NGOとしては、特に子どもの保護について、法律が十分に施行されるよう国と一緒に活動する役割があります。もしも「子どもの権利条約」がなければ、政府とNGOが一緒に働くことは難しいかもしれません。
その点において、「子どもの権利条約」が政府とNGOが一緒に働くということに関して一役かっていると思っています。
また、国連の委員会は国がUNCRC(子どもの権利条約)を守ってないことについて提言を出すことができます。ただ提言に過ぎないため、強制できないという点で弱いのですが、少なくとも「子どもの権利条約」に関して発信することができることには意味があると考えています。
特に今のフィリピンの状況(麻薬戦争、法的プロセスなく殺されるような時代)においては、より重要な意味があると考えています。

KnKフィリピン代表、アグネス・ギャラルド・クイトリアーノ(プロフィール)

1948年生まれ。ドレスのデザインをしていた母親の影響でデザイナーを志望していたが望んでいた大学に行けず、失意の中から選んだ進路が「教育」だった。その後、教員として4年間勤務する中で、貧しい農村出身の子どもたちが家の労働などを手伝うため授業中寝ていたり、ノートやペンを持っていない現状、収容所にいる子どもたちの存在を知り、最も脆弱な存在の子どもたちのために働きたいと心を決める。DCIで5年ほど勤務した後、国境なき医師団に勤務。その活動の中で出会ったドミニク・レギュイエ(KnK創設者)に誘われ2001年にKnKフィリピンを立ち上げた。

関連記事:【国境を越えて】広げよう!子どもの権利条約キャンペーン
関連記事:「世界人権宣言」と「子どもの権利条約」/コラム:渋谷敦志さん
関連記事:片思いからの卒業/コラム:堀潤さん
関連記事:教育で心の選択肢を豊かに/コラム:安田菜津紀さん
関連記事:「自分を生きる」ために「子どもの権利」を知ろう/コラム:岡田茜
関連記事:子どもの権利条約採択から30年、心を響かす音楽を/コラム:佐藤慧さん

寄付する
寄付する
資料請求

カテゴリー

月別アーカイブ