【国境を越えて】広げよう!子どもの権利条約キャンペーン
コラム:「世界人権宣言」と「子どもの権利条約」
渋谷 敦志 氏/フォトジャーナリスト
2018年12月、「世界人権宣言」が国連で採択されてから70年の節目に『みんなたいせつ 世界人権宣言の絵本』(岩崎書店)を出版した。共著者の東菜奈さんが30ある条項一つひとつを子どもでも理解できるように優しく意訳し、それぞれの条項に、ぼくが世界の紛争や貧困の現場で撮った写真を組み合わせた写真絵本だ。児童書ということで、同時代を生きる子どもたちの写真を多く掲載したせいか、編集作業中、「まるで『子どもの権利条約』の本をつくっているみたい」と度々思ったものだ。
みんなたいせつ
「人はだれでも、生まれたときから自由です。そして、だれもが尊く、さまざまな権利を持っています(第1条)」
「人はだれでも、自由に意見をいったり、自由に表現したりする権利を持っています(第19条)」
「人はだれでも、社会の一員として、社会に守ってもらう権利があります(第22条)」
「人はだれでも、自由に文化的な活動をしたり、芸術を鑑賞したり、科学の進歩がもたらすさまざまな喜びや便利をうけとったりする権利があります(第27条)」
このような射程の広い各条項の「人はだれでも」の部分を、「子どもはだれでも」と置きかえてみると、「世界人権宣言」が「子どもの権利条約」と二重写しに見えてくるのだが、それもそのはずで、「子どもの権利条約」が定められた経緯を調べると、その源流に「世界人権宣言」があることがわかる。
子どもを含む多数の民間人を犠牲にし、特定の人種の迫害や虐殺といった不条理を生んだ大戦を経験して、1948年に「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」としてつくられたのが「世界人権宣言」だった。それは来るべき未来への理想などといった綺麗事ではなく、人間がなさぬべき何かをなした、あるいはなすべき何かをなさなかった結果としての取り返しのつかない過ちをもう二度と繰り返すまいという、後悔と猛省と覚悟の産物であった。そこを認識の足場にし、では子どもはどう守られるべきか?という発想から、最善の行動原則をうち立て、法的拘束力を持たせて援用させたのが「子どもの権利条約」だといえる。国家間の条約とは異なり、国籍も宗教も性別も関わりなく、子ども一人ひとりの人権、とりわけ自由権に光を当てた点で、その意義はとてつもなく大きい。
「子どもの権利条約」という光源を世界の闇に照らすとき
「子どもの権利条約」が国連で採択されて30年になる。フォトジャーナリストとして、その思想性を自分なりにくみ取りながら、四半世紀ものあいだ世界中の子どもたちにカメラを向けてきた。人権条約など「お題目」にすぎないと言わざるを得ない現実はある。それでも、「子どもの権利条約」という光源がなければ、世界を覆う闇はもっと深かったかもしれないと思う。
そんな暗がりに今も置き去りにされている子どもたちを一人でも多く救い出そうと力を尽くす「国境なき子どもたち(KnK)」の存在意義がなくなり、困難を生きる子どもたちの存在を写真で伝えようとするフォトジャーナリストの役割が不要になる日を、ぼくはひそかに待ち望んでもいるのだ。
渋谷 敦志/フォトジャーナリスト(プロフィール)
最新の出版作品は『まなざしが出会う場所へ——越境する写真家として生きる』(新泉社)。
『みんなたいせつ 世界人権宣言の絵本』(岩崎書店)。
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