2015/04/07
2015年フィリピン 友情のレポーターの佐藤 旭(さとう あさひ/12歳)です。
4月2日のパヤタスに行ったことについて報告します。
チルドレンセンターの子どもたち
パヤタスに着いてすぐ、車の窓を開けたら生ぐさい匂いがゴミ山から漂ってきました。車から降りるとパヤタスにあるチルドレンセンターに行きました。チルドレンセンターに入るとたくさんの子どもたちが出迎えてくれました。そして女の子たちに踊りを披露してもらいました。
踊りを踊っていた子の中には私と拓哉くんと同い年の子もいました。でも、その子はとても小さくて、栄養がちゃんととれていないから、同い年なのにこんなに身長が変わってしまうのに気付き、驚きました。周りを見渡すと私たちより年上なのに、ほとんど身長が変わらない人がたくさんいました。皆、十分な食べ物を食べることができないんだと分かりました。
パヤタスの人々の暮らしを支える大きなゴミ山
チルドレンセンターを出るとゴミ山が見えました。ぱっと見る限りゴミ山というほど、ゴミがないではないかと思いました。でも、山の上ではなく平らな土地にゴミと土を交互にのせて崩れるのを防いでいることを聞いて凄く驚きました。もっと驚いたのはその山がわずか一年足らずでできてしまったことです。
(注)パヤタスのゴミ山には毎日マニラ首都圏から400台のトラックがゴミを運んできます。
スタッフのジョナサンにインタビュー
そんなゴミ山で働いていたジョナサンと、今もゴミ山で働いている男の子を取材しました。
最初に取材をしたのは、今までサマール島にいた時もずっと付き添ってもらっていたKnKのスタッフジョナサン。彼が昔に住んでいて、今も家族で生活している家で取材をしました。家の中でさえ、あせが出てくるこの暑さに、外で長時間に及ぶゴミ山での仕事を今の私たちと同年代で行っていたなんて想像することすらできませんでした。そして今も働いているたくさんの子どもたちがいることをどうにかしなければならない、そう思う気持ちがいっそう強くなりました。
2015年フィリピン 友情のレポーターの菅 拓哉(かん たくや/12歳)です。
「若者の家」での出会い
4月2日
僕たちは、4月2日の午後に「若者の家」へ行きました。着いたとたんにみんなが来て出迎えてくれました。その後僕たちへの歓迎会としてパーティを開いてくれ、ダンスや歌をたくさん披露してくれました。
僕たちからの贈り物として「カエルの歌」をみんなで歌いました。日本人かなと思うくらい上手でびっくりしました。
次に「若者の家」の子どもたち1人ひとりから手紙をもらいました。みんなとても素敵なメッセージを書いてくれていました。
インタビューに答えてくれた少年
パーティが終わった後に1人の子にインタビューをしました。その子は15歳です。
なぜ「若者の家」に来たかというと、もともとストリートチルドレンで物を買うお金がなかったのでいつも人からお金を盗んでいて捕まってしまい、鑑別所にいた時にKnKに出会ったそうです。8歳の時にお父さんがなくなってしまいストリートチルドレンになってしまったそうです。今はお母さんがどこにいるかも知らないと言っていました。
鑑別所ではずっと喧嘩をして殴ったり殴られたりしていたそうです。なので将来の夢は喧嘩や暴力ごとを止められる兵士になりたいとおもっているそうです。
「若者の家」では朝5時に起き朝ごはんを食べ6時に学校に行きます。12時に帰ってきてから昼食をとり昼寝をします。夕方の4時ごろに起きてみんなでバスケをしてから晩ご飯を食べて寝ると、1日のスケ―ジュールも話してくれました。
また会える日まで
その後みんなでバスケをして遊びました。日本から持ってきたおもちゃでも楽しく遊んでくれていたので嬉しかったです。帰るのもとてもなごりおしかったです。みんな車に集まってきて「バイバイ」「バイバイ」と言って送ってくれました。
またフィリピンに来るきかいがあったら絶対「若者の家」などに行って子どもたちやスッタフと会いたいです。
関連記事:崩れた崖の下で暮らすケレンの家を訪問/友情のレポーター(2015)
関連記事:初めてフィリピンの子どもたちと会って感じたこと/友情のレポーター(2015)
関連記事:フィリピンのタクロバンに到着、取材を開始しました/友情のレポーター(2015)