2017年フィリピン 「友情のレポーター」の山邊鈴(やまべ りん/15歳)です。
滞在5日目。パヤタスという、ごみ山のあるスラム街へと向かいました。このスラム街には、ティナのおうちがあるのです。
パヤタスの町に着いて車の窓を開けた瞬間、思わず鼻を覆いたくなるほどの生ごみが腐った臭いが漂ってきました。ごみ山まではまだ距離があるはずなのに。私が戸惑っていると、窓の外で薄汚れた水で洗濯をしている子どもを見つけました。ここの人にとっては、洋服や家からこの臭いがすることなんて普通のことなのです。臭いによる健康被害や嗅覚の麻痺なども深刻だとも聞きました。
パヤタスに住む人の多くは、ごみ山からアルミなどの使えるものを拾って生計を立てています。彼らにとってここは宝の山なのです。しかし、そんな宝の山で働くことは危険と隣り合わせでもあります。
2000年、高さ約30m、幅約100mにわたってこのごみの山は崩れ落ち、周辺に住む人々の命を奪い去りました。234名の方が亡くなったと発表はされていますが、実際の犠牲者は800名ほどにも上ると言われています。普段のごみ拾いでも危険は多く、KnKの支援を受けている子の兄弟も、ここでトラクターに巻き込まれて亡くなったそうです。
そんなパヤタスのごみ山が今年中に封鎖されることが決まり、町の人々は喜ぶかと思いきや、大きな反対運動が起こっています。どんな危険があろうと、このごみ山の収入源が無くては暮らしてはいけない。新たにできるごみ山のある町へも、バスの運賃が払えないので行けない。ごみ山がないと生きてはいけない。そんな現実がありました。
そして、いざティナの家へ。迎えに来てくれたティナと、日差しが照り付ける中、日傘をさしながら二人で歩きます。しかし到着した家の中は窓がないので薄暗く、まるで夜のようでした。裸足で中に入るとヒヤッとした感触があり、見ると床は汚水で濡れていました。下水道の設備がまだあまり整っていないのです。台所にはゴキブリが5匹ほど列をなしており、全体的にあまり衛生的ではないという印象を受けました。食べ物に困ることも多い、とティナは言っており、あんなにお洒落なティナがこんな暮らしをしていたなんてと衝撃でした。
家族の人数を聞くと、なんと12人家族だそうです。しかし、この家はそんな人数がとても住める広さではないように見えます。そこで「いつもどうやって寝ているの?」と尋ねると、「お母さんとお父さんがベッドで寝て、私たちは床に寝ているの」と答えてくれました。そこで、実際に寝てみることにしました。
私たちが寝そべっているこのスペースに、いつもは兄弟3人で寝ているそうです。楽しそうだけれど、窮屈すぎて私には耐えられないな。そう思ったそのときでした。
“father” “mother” ”family“
ティナの妹たちによるそんなたくさんの落書きが、壁一面に書かれてあるのを見つけたのです。
そこで私は、彼女の笑顔が素敵な訳が少しわかったような気がしました。大人数で課題もあるけれど、元気であったかい家族。それこそが、明るい彼女をつくっているのかもしれません。私はこの家の「貧しさ」を学ぶつもりで、おうちを訪問しました。しかし、逆に教えられたのは「本当の豊かさ」でした。
そして、ついにお別れの時が近づいてきました。ティナは段々と無口になってきましたが、表情は先日のようなものではなく、ただただ寂しげでした。
そこで、私は最後の会話として、“Do you like your town?”と問いかけました。すると、彼女はこう答えたのです。“Yes. Because I am happy.”彼女は、笑っていました。
いつか、また、絶対に。私は大好きなティナに会いに行きます。
<協賛> オリンパス株式会社、国際ソロプチミスト東京-広尾