支援・参加する

海外で活動する

恵まれない状況下にある子どもたちのために、直接海外に行って支援に携わりたいという方は、ぜひ海外派遣員として活動にご参加ください。まだ未成年・・という方は、友情のレポーターになって海外の子どもたちを取材してみませんか?

1997年から2015年12月末までに、のべ79名の方が海外派遣員としてアジア各地での国境なき子どもたちの支援業務に携わってくれました。現場では、プロジェクトの計画・管理運営から予算・会計の管理、助成金などの報告書を作成するなど、さまざまな業務が求められます。その他、支援を必要とする子どもたちに関する各種調査なども必要に応じてこなしていただくので責任の重いポジションですが、その場でしか得ることのできない貴重な体験ができることは間違いありません。

海外派遣員として活動してくれた方をご紹介します。

KnKフィリピン プロジェクト・コーディネーター / 原理栄子さん

派遣期間:2014年1月~2014年7月

Q1:なぜフィリピンの教育支援活動に参加しようと思ったのですか?

子どもの支援を考えるようになったきっかけは、「世界がもし100人の村だったら」の実写版をテレビで見たときでした。世界には学校に行けない子どもたちや最低限の生活も送れない子どもたちがたくさんいることを知りました。

そこでまず勉強をしなければならないと思い、大学院で教育開発を中心に専攻しました。卒業後に幼稚園から小学校低学年の子どもたちを支援している団体の活動に参加し、その活動の中で子どもたちに関わることの楽しさを知りました。

もともと途上国で現地の駐在員として働きたい願望がありました。そうした時に、テレビのニュースでフィリピンの台風の光景を見て東北の大震災を思い出しました。自分は福島出身なのに震災の時に海外にいて何もできなかったので、フィリピンの被災地で働きたいと強く考えるようになりました。

Q2:被災地におけるKnKの活動概要を教えてください

活動地はマニラから飛行機で約1時間のレイテ島とサマール島です。チルドレンセンター(テント)を3地域に設置しました。

9歳から17歳の子どもをターゲットに、元々学校に行ったことのない子どもたち、または学校には登録していても家庭の手伝いなどに借り出され継続的に通学できない子どもたちをKnKが裨益者として選び出し、その子どもたちに対し、教育機会を提供したのとチュートリアルと呼ばれるフィリピン語(国語)、英語、算数というような科目を教えていたのと、心理ケア・サポートという二本立てでプロジェクトを実施しました。

子どもたちは男女ほぼ同数でした。対象者の選定は、最初は学校から「学校に登録しているけど頻繁に通学していない子ども」のリストを貰い、彼らをKnKの裨益者として登録しました。学校に行ったことのない子どもに関しては、その地域の政府関係者やリーダーから情報を得てリストアップしました。この両方が最初のKnKの裨益者です。ただ、学校が夏休みになるとKnKの活動が地域内に広まって、「僕も行きたい」「私も受けたい」となり、その時期は学校が休みなのでKnKのチルドレンセンターに来る子どもが増えて、東京の本部と相談した上で、彼らも裨益者として受け入れることにしました。ありがたいことに口コミの力が強く、KnKのセンターへ来たいという子どもたちを拒否するわけにもいかなくて。どの子どもたちも被災者には変わりがないので、KnKのチルドレンセンターでちょっとでも心が癒されたりするのであれば、受け入れる意義は大きいと感じました。

裨益者数は各地域200名、3地域合計で600名から1000名です。

Q3:海外派遣中の印象に残っている子どもの発言やエピソードがあれば教えてください

発災後にどのように行動したか、個人的に子どもから聞いたことがあります。ある子どもが、波がすごく高くて「泳いだ」と言うのですが、その「泳いだ」レベルが家の2階のベランダを指差して「あそこに入っていったんだよ」と言うんですね。子どもの背丈は約1mなのに、その家の2階は6mから7mで、足も届かない深さの中を泳いでいったというエピソードを聞きました。その子は10歳の女の子でした。

また、ある子どもは、雨が降ったり風が強くなると、タオルをぐるぐる頭に巻いたり、傘を自分の体にすごく近づけて握り締めて放さず、その傘を握る手もブルブル震えているのが印象的でした。私が活動を開始した1月末は結構雨が降ったので、台風がトラウマになっているその子どものことを周りの子どもたちが私に教えてくれるんですよ。「理栄子、あの子見て。今すごく震えているでしょ。海から離れようとしてるんだよ」と。今は随分改善されました。

元々精神的に強い子は「強い台風や波が来たんだよ」と普通に笑いながら話してくれますが、雨が降り出すと怖くなり高い方高い方に行く子どももいました。その子は見た感じは6歳位でしたが、貧困地域で栄養不足も考えられるため、実際は見た目よりも年齢が高く、恐らく11歳か12歳ぐらいだろうと思います。

Q4:現場での一日のスケジュールはどのようなものでしたか?

2014年1月末にフィリピンに着任し、現地では主にオフィス勤務と現場勤務のふたつのチームに分かれて持ち回りで仕事をしました。 オフィスチームは、朝8時に出勤し、12時に昼食、13時から午後の仕事をします。17時ころ現場チームがオフィスに帰って来るので、そこでそれぞれのチームが報告を行います。 現場チームでは、カトバロガンとタクロバンでは仕事の内容が全く異なりますが、カトバロガンでは朝6時に出発し、現場で作業をし、昼食を取り、15時に現地を出発します。17時ころオフィスに着いた後オフィスワークをしますが、疲労困憊で何も手につかないという状況でした。 最初は現場を見なければいけないという気持ちから毎日現場に行っていましたが、体を壊してしまいました。そこで現場に行く回数を減らさざるを得ませんでした。

Q5:勤務外の時間はどのように過ごしていましたか?

カトバロガンでは本当に何もすることがありませんでした。日本から持って行ったDVDを繰り返し見たり、タクロバンではドライバーさんの勧めでジムに通ったりしていました。

あとはカトバロガンでもタクロバンでも、ひとりで海岸沿いを歩いて海をよく見に行っていました。

Q6:初めて海外派遣を希望する方々へのアドバイスをお願いします

人間関係が大事ですが、海外現地のスタッフや人々とは理解し合えないことが当たり前です。うまくいかなくても落胆しすぎないことが大事です。

こちらの考えだけで物事を進めるのは駄目ですが、向こうの考えだけで物事を進めるのも駄目です。バランス感覚が必要ですね。

いろいろな考えをする人がいるのだなと思い、楽しみながらやることが一番大事です。

そしてストレスを解消することも必要です。私自身、ホテルの女性スタッフや他の支援団体の方と仕事を離れて個人的な関係を作ることができたことがストレス解消になりました。

(原さんは、2014年8月から2015年3月まで、ミャンマーのKnK事業地で教育支援に従事します。)

KnK東ティモール プロジェクト・コーディネーター / 静谷大輔さん

派遣期間:2007年9月~2008年1月

Q1:なぜKnKの子ども支援活動に参加しようと思ったのですか?

ずっと前から国際ボランティアには興味があり、いつか経験してみたいと思っていました。この前の仕事が添乗員をしていました。ヨーロッパからオーストラリア、トルコ、そしてアフリカへ。南アフリカへ添乗へ行ったときの事です、決して恵まれた環境でないのに、常に笑顔で接してくれる人々。そして走り回っている子ども達。そんな人々をみているうちに、途上国で地元の人と一緒に暮らしてみたいと思うようになりました。また、子どもは以前から好きでした。学習塾で子どもたちを教えていた時期もありました。国境なき子どもたちの事は以前から知っていて、時々、HPをチェックしていました。その度に応募を躊躇っていましたが、今回は「よし!応募しよう!」と思い応募しました。

Q2:海外派遣先での業務はどのようなものでしたか?

現地のNGOと協力して、一緒にユースセンターを運営・管理するのがメインの仕事。あとは、ドナーの日本大使館に挨拶や報告に行ったり、予算・会計管理、本部への報告、地元のNGOや国際NGO、教育省へのネットワーキング等。でも、実際は子どもと遊んだり、ユースセンターの掃除(スタッフ全員で)をしたり、英語クラスを時々教えたり、青年と一緒に識字教室でテトゥン語を習ったりとバラエティーに富んでいます。また、スタッフと一緒にご飯を食べたり、クリスマスパーティーをしたりと仕事以外でもスタッフとコミュニケーションをと思っていました。

Q3:活動を通じて一番心に残っていること(エピソード)は何ですか?

沢山、小さい事が思い出として残っています。その中で挙げるとしたら、小さい子どもたちと一緒に遊んだ事でしょうか。東ティモールは大家族で平均7人の子どもがいます。親はお金を稼ぐので忙しく、子どもにかまってあげられません。そのせいもあってか、私は子ども好きというのもあって、時間があると子どもとボール投げをしたり、サッカーをやって遊んでいました。そういう時は勿論、子どもたちは大喜び!!しかし、それ以外でただ、子どもたちの近くにいて見ているだけでも、「ミスター!」と言って、楽しそうに遊んでいるのです。特に何もしなくても。そんな子どもたちの中にいると、ともすれば、日本では大勢の中の一人が、ここでは子どもたちのヒーローと化けます。自分が必要とされるのです。

Q4:将来海外派遣を希望している人たちへのメッセージをお願いします

「百聞は一見にしかず」という言葉があります。私もこの言葉に賛成です。いくら専門書をたくさん読み、現地の情報をインターネットで調べ知識を得たとしても、そこに実際に行き、そこの空気を吸い、強烈な太陽光線を浴び、地元の人と喋った人とは雲泥の差があると思っています。行って見て下さい。大変な事は多々ありますが、スルメイカみたいです。最初は味がないのですが、徐々に味が出てきます。東ティモールの経験はそんな感じでした。日本に帰って今の方がその良さが分かる感じです。また、外国で住む事によって見えてくる事があります。それは勿論、現地の文化や人々の事を学ぶ事は当然ですが、それと同じくらいに日本のこと、自分のことを学びます。今までやってきた自分のやり方を変えざるをえない経験、常識が非常識になり、非常識が常識になる事も時にはあります。外国、また、途上国と言われる国に行き、「超」便利な国、日本と、180度違う国で暮らすギャップ。最初はストレスに感じるかも知れませんが、その後に見えてくる日本にはない「不便さ」の利点。人間が人間らしくいられる面も多々あります。あとになって感じてくる人々の暖かさ。そんな「経験」が出来るのがこの仕事。言葉ではなく、自分の五感を使って、理屈ではなく実体験で得れる途上国での日々は「プライスレス」です。

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