報告:KnKスタッフ 清水 匡
KnKがフィリピンで活動を開始してから15年が経ちました。一言で15年といっても苦労の連続でもありました。
15年前は、マニラの墓地にたくさんのストリートチルドレンが集まり、シンナー(接着剤)を吸っていました。そこに集まる子どもたちの手には同じマークの刺青がありました。
マニラには無数のギャング団があり窃盗や麻薬売買などの犯罪だけでなくギャング同士での抗争も絶えません。そのギャングのメンバーの多くはストリートチルドレンです。子どもが一人路上で生き抜くことはとても困難なことです。物乞いなどでせっかくお金を稼いでもギャングに暴力を振るわれ横取りされることは珍しくありません。そこで彼らは自分の身を守るためにギャングのメンバーとなり、その証として刺青を入れるのです。メンバーになると他のギャングから守ってもらえる代わりに、年上メンバーの命令には従わなければならず、犯罪に手を染めることになるのです。そしてその証は一生残ります。
トラブルの連続--問題だらけの青少年を保護するということ
KnKはフィリピンで活動開始当初、こうした青少年を「若者の家」で保護していました。しかし、長年の路上生活、そしてギャングのメンバーだった彼らは「若者の家」でも大暴れ。ケンカで窓やドアが壊れることは序の口で、ドアノブや手すりなど金属製のものは取り外して換金するなど、家の中はハチャメチャでした。それでもスタッフの根気強い対応で子どもたちは少しずつ、「若者の家」を自分たちの「家」と認識するようになりました。
しかしある時、近所の人たちが「若者の家」に怒鳴り込みに来ました。
「あんたんとこの不良がうちのメイドに暴行した!」
「あんたんとこの不良がうちの家の窓ガラスを割った!」
「夜になると女の子たちがあんたんとこの家の前に行列を作るのよ!」
「もうこの地域から出ていきなさい!」
近所からのクレームで「若者の家」は引っ越しを余儀なくされました。
ある年は、財政難で安くて小さな家に引っ越しせざるを得ないこともありました。もちろん全員が小さな家で暮らせるはずはありません。スタッフたちは子どもたちを受け入れてくれる施設を探すために方々を走り回ったり、家に戻したりし、本当に行き場のない子どもだけが小さな家に引っ越しました。現場のスタッフたちにとって、子どもたちをほかの施設に移すことはどんなに辛く、どんなに悔しかったことでしょう。それ以降も安い家賃の家に引っ越しすることがありました。その度に子どもたちが「僕たちを見捨てないで」とスタッフに迫ってきました。
企業のサポートで、持続可能な支援がスタート
2009年、KnKに転機がやってきました。日本の企業、伊藤忠商事株式会社が「若者の家」を新設するための資金を援助してくださったのです。新しい「若者の家」は、自分たちの家というだけでなく、子どもたちが引っ越しという不安を感じず安心できる場所でもあるのです。この新しい「若者の家」がオープンした矢先、大型台風がフィリピンを襲い、KnKが活動しているスラム地域も大きな被害を受けました。そこでKnKは新「若者の家」を被災者に避難所として提供し、緊急支援活動の拠点となったのです。
KnKの「若者の家」ではおいしいご飯が食べられたり、勉強もできます。もちろん体罰もありません。
先日、フィリピンでの活動15周年記念イベントが「若者の家」で開催されました。子どもたちはフィリピンの伝統舞踊を披露したり、KnKに来るまでの体験や、KnKの活動を通してどのように人生が変わったかなどを発表してくれました。
15周年のイベントで発表してくれたある青少年(16歳)のメッセージをご紹介します。
ある日、警察に捕まり施設に入れられました。その施設では、少しでも悪いことをすると頭を壁に叩き付けられたり、朝から晩まで床掃除をさせられたりしました。何年かその施設にいましたが、NGOの施設に移動すると聞かされいくつか面接をしましたが、KnKだけが僕を引き取ってくれたんです。
KnKの「若者の家」ではおいしいご飯が食べられたり、勉強もできます。大人に対する言葉使いも教えてくれます。もちろん体罰もありません。
KnKのフィリピンにおける活動を支えてくださる皆さまに、改めて感謝申し上げます。
教育は夢を育む、夢は人を強くする
子どもたちを支えるために、あなたのサポートが必要です
10,000円で、ゴミ山のふもとで暮らす子ども100人に2週間、非公式教育を提供できます。
KnKへのご寄付は寄付金控除の対象となり、税制上の優遇措置を受けられます。
関連記事:マニラの取材で気づいたこと、感じたこと/友情のレポーター(2015)
関連記事:冷たい鉄格子の中で