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驚愕した4日目

2012/04/05

フィリピンを取材した友情のレポーターから現地報告が届きました。

◇◆◇ ここから ◇◆◇
友情のレポーターの菅野樹希(かんの いつき)です。

今日でフィリピンレポ4日目となりました。
今日はこの4日間の中で一番濃い日になったと思います。

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はじめに『若者の家』で、アグネスさんと合流しました。そこでバゴンシーランのことについて少し説明を受けました。

驚愕した。

スモーキーマウンテンのこと。
生活のこと。
ギャングにならなければ生きていけない人のこと。
洪水の被害のこと。
そんな危険な環境で生活している子どもたちのこと。
ギャングに脅されるかもしれないときいた時は怖かったけど、そこでそんな生活を強いられている人たちの、生活の様子を知りたいという気持ちの方が上回りました。

その後、26日にお友だちになったメー・アンちゃんとジョシュアくんのお家でインタビューさせてもらいました。

左から樹希さん、拓樹くん、ジョシュアくん

左から樹希さん、拓樹くん、ジョシュアくん

その中でも私が一番感情移入できたのは、ジョシュアくんの方でした。
ジョシュアくんのお家は川沿いにあり、2009年の洪水では家が流されてしまったそうです。

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そこで私の頭によぎったのは、あの恐ろしい津波の光景でした。
いくら距離があったとしても、高さがあったとしても、あの黒い波の前にはすべてが無力で無意味だった、あの一瞬の光景。不安と恐怖と絶望が一瞬に凝縮された、すべてを変えた一瞬が、ジョシュアくんに話を聞いているうちに、頭の中でどんどん鮮明な映像となってよみがえってきました。
津波は一瞬ですべてが変えてしまったけど、洪水は徐々に水位が上がって、徐々に物がのみ込まれていく。つまり、一瞬の出来事に戦慄することしかできない私たちとは違い、彼らには考える時間があった。
その考える時間で何を考えることができたのか。当時9歳の彼はいったい何を考えていたのか。
それは被災者の体験として、聞く勇気がありませんでした。
それでも、私は聞いた。彼にとって辛い出来事であったのを誰よりも理解できたけれど。
答える彼も辛かったろうし、それを聞く私自身も、彼が辛いのは痛いほど分かった。

水は怖い?川の近くに住むのは嫌?津波をどう思う?お家はその時流れてしまったの?
ひどいことを聞いてごめんね、辛かったよね、怖かったよね、忘れることはできないよね。
それでも素直に答えてくれる彼の目は、泣きそうに赤くなっていました。

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それを見て彼の気持ちを考えた瞬間、我慢が出来なくなって、号泣してしまいました。
困ったように私の顔を覗き込む彼。きっと彼はもっと辛いのに。
昨日の今日で少し仲良くなっただけの人に、傷をえぐるような質問ばかりされ、答えさせられる。私だったら逃げ出したい状況なのに。彼は答えてくれた。どんな気持ちで?
そう思うと涙が止まりませんでした。私よりはるかに小さい彼は、私よりはるかに強かったのです。

インタビューを終え、彼にお礼をして顔を上げると、スタッフのクリスティーナさんやジョシュアくんのお母さん、そこにいたほとんどの人が泣いてしまっていました。
そのとき初めて「私の体験した気持ちが人に伝わった」と実感しました。
学校に来てくれたカウンセラーに対しても、取材の記者の人に対しても、感じたことのない程のものでした。

ひとえに「水害」といっても、津波と洪水ではメカニズムなども違うし、状況も日本とフィリピンだとかなり違います。それでも、そこで感じた恐怖や不安など、生々しい状況を目の当たりにした時の、ありのままの気持ちをくみ取ることができたのは、津波を実際に経験した私だけだと思います。
うわべだけの理解ではなく、心からの共感。私は被災してからずっと、この感覚を求めていたんだと思います。だからきっとジョシュアくんも求めていたのではないでしょうか。辛いけど、だからこそ話さなければいけない、伝えなければいけない。それはこれから先も避けては通れないと思います。

今日のことはきっと、私が津波を経験しなければできなかったことだと思います。それにもし津波に遭わなかったら、友情のレポーターとしてここに来るどころか、KnKの存在すら分からなかったろうし、フィリピンで起きた洪水に対しても他人事として聞き流していたと思います。

津波を良く言うわけではありませんが、津波で失ったものも多いけれど、逆にもたらしてくれたものも多いのではないでしょうか。
それを今日、すごく実感することができました。

明日からはまた違う気持ちで、子どもたちと接することができそう。
そんな一日でした。

◇◆◇ フィリピンってどんな国? ◇◆◇

 

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