パキスタン大地震 ~厳冬を乗り越え春へ~
国境なき子どもたち写真展2006 「パキスタン大地震 ~厳冬を乗り越え春へ~」
撮影:谷本美加
写真家の谷本美加さんをパキスタンに派遣し、2005年10月に起きた大地震被災地の子どもたちや崩壊した教育現場の様子、混乱した状況から立ち上がろうとする人々を写してもらいました。
- 「ここが私の家」と教えてくれたところは、すでに何もなく、扉だけが残されていた。自宅の再建は、家族自らが始めなくては、誰も手伝ってはくれない。(バタル)
- 町全体が崩壊してしまったバラコットという町の、男子中学校。崩れた校内の黒板には、「10月8日、地震、僕たちの学校が壊された」と生徒の字で書かれている。大地震発生直後、学校の崩壊により、少なくとも17,000人の児童が亡くなったと発表された。(バラコット)
- 大地震から数ヵ月後、テントの学校ができたが、先生が来ない日もある。学校だけでなく学校生活が、突然の地震で壊れてしまった。(バラコット)
- 朝食の後、もう一度毛布をかぶって、大急ぎで宿題をする。朝晩は、火のついた台所と毛布の中だけが暖かい。(シンカリ)
- マグニチュード7.6の大きな縦揺れが、街の中心部に建っていたショッピングセンターをつぶし、屋根が崩落した。(バラコット)
- 街のいたるところにあるテント村では、井戸での水汲みが子どもたちの新たな仕事になった。(マンセラ)
- 日が暮れると急速に気温が落ちる。0℃までさがる夕暮れの時間、子どもたちはチャパティ(パン)を焼く火種で暖をとる。(バラコット)
- 崩壊した学校に散らばる、ノートや教科書や学生名簿。午前8時38分に大地震が起こったとき、ほとんどの子どもたちが学校内にいたのだ。悲しいことに、学校跡地に散らばる紙は、廃品回収の素材となる。 (バラコット)
- 大地震により、9万人もの人々が亡くなったといわれている。幹線道路沿い、学校の敷地内、空き地、いたるところに新しい墓ができた。少年は、屋根の下敷きになって亡くなった祖父の墓に、水仙の花を供える(シンカリ)
- 地震の前も今も、幸いなことに遊ぶ友達は同じだ。ただ、全員がテント生活になった。(シンカリ)
プロフィール
谷本美加
1998年国境なき医師団フォトジャーナリスト賞受賞。
国境なき医師団やJICAなどの撮影のほか、『ソマリアの内戦』、『アフガニスタン難民』、 『在日外国人』、『アジアの児童労働』などをテーマに、出会った人々の生き様を見つめながら撮影を続けています。
【KnK写真展歴】
「パキスタン大地震 ~厳冬を乗り越え春へ~」 (2006年)
「イラク避難民家族の物語 ~ヨルダンで願う平和~」 (2008年)
https://www.mika-tanimoto.com/index.html