岩手 この空の下、明日への道を探して
国境なき子どもたち写真展2012 「岩手 この空の下、明日への道を探して」
撮影:渋谷 敦志、安田 菜津紀、佐藤 慧
2011年3月11日、日本観測史上最大の津波が東日本を襲いました。この写真展では、震災当初から取材を続けていた渋谷敦志、安田菜津紀、佐藤慧という3人のフォトジャーナリストの視点とKnKの視点から、岩手の地で明日へと続く長い道のりを歩み始めた人々を写しました。
- 陸地に打ち上げられた魚の死骸に群れるウミネコ。漁をする船はもうどこにもない。(陸前高田市/KnK)
- 支援が十分に届かなかったが混乱の中にも秩序や共助があった。(陸前高田市/渋谷敦志)
- 臨時登校式で、震災以来、初めて顔を合わせた生徒たち。(陸前高田市/渋谷敦志)
- 高田高校入学式。制服がなく中学校のときの制服を着て式に臨む新入生。(陸前高田市/KnK)
- 我々は何もできないという現実を目の当たりにし、被災地を後にした。(陸前高田市/KnK)
- バスを改造して作られた「走る! KnK子どもセンター」(陸前高田市/KnK)
- 大船渡市越喜来では、地元の若者が中心となり哀悼と復興への想いを込めて花火が打ち上げられた。(佐藤慧)
- 町内会は解散してしまったが、毎年の祭や祈祷を行う「祭組」は存続していた。(陸前高田市/佐藤慧)
- 竹駒小学校で行われた夏祭り。校庭には96戸の仮設住宅が建てられた。(陸前高田市/安田菜津紀)
- 復興支援団体「みんつな」が米崎小学校で開催した「写真教室」のひとコマ。(陸前高田市/佐藤慧)
- 「子どものためにも精一杯働かなきゃな」畳作りは生き甲斐であり、明日を生きるための誇りでもある。(陸前高田市/佐藤慧)
- 線路があった一本道を歩くのは釜石東中の生徒たち。「最初ここが線路ってわからなかった。今ではどこに何があったのかもわからない」(山田町/渋谷敦志)
- 唐丹湾での養殖ワカメの間引き作業。「やっぱ海はいいな。朝日見ながらワカメ採るのはオツなもんだよ」(釜石市)/渋谷敦志
- 春休み中、おじいさんの水揚げ作業を手伝う菅野航生くん(10歳)(陸前高田市/安田菜津紀)
- 下級生を引っ張ってきた陸前高田市立竹駒小学校の6年生10人。(陸前高田市/安田菜津紀)
- 卒業を迎えた竹駒小学校の6年生たち。会場は視聴覚室という小さな式。
プロフィール
渋谷 敦志 (しぶや あつし)/アジアプレス所属
東京在住 1975年大阪府生まれ。高校生のときベトナム戦争の写真を見てフォトジャーナリストを志す。立命館大学在学中にブラジルに留学研修、法律事務所に勤務しながら写真を本格的に撮り始める。2002年ロンドン芸術大学London College of Printing卒業。現在はフリーランスのフォトジャーナリストとして、最近はソマリアの飢饉問題やウガンダのエイズ遺児、アジアの辺境に暮らすマイノリティなどを取材している。
1999年 第三回MSFフォトジャーナリスト賞、2000年 日本写真家協会展金賞、2005年 視点賞・視点展30回記念特別賞など受賞多数。
https://www.shibuyaatsushi.com/
プロフィール
安田菜津紀(やすだ なつき)/studio sirius2012AFTERMODE 所属
東京在住 2003年8月、「国境なき子どもたち」の友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。 2006年、写真と出会ったことを機に、カンボジアを中心に各地の取材を始める。現在、東南アジアの貧困問題や、中東の難民問題、アフリカのエイズ孤児などを中心 に取材を進める。2009年、日本ドキュメンタリー写真ユースコンテスト大賞受賞。
共著に『アジア×カメラ 「正解」のない旅へ』(第三書館)など。上智大学卒。
https://www.yasudanatsuki.com/
プロフィール
佐藤慧(さとう けい)/studio AFTERMODE 所属
東京在住 1982年岩手県生まれ。大学時代は音楽を専攻。世界を旅する中でその不条理に気付く。2007年にアメリカのNGOに渡り研修を受け、その後南部アフリカ、中米などで地域開発の任務につく。2009年ザンビア共和国にて学校建設のプロジェクトに携わる。2010年ジャーナリストとしてアフリカを中心に取材を始める。東日本大震災により故郷の陸前高田市が壊滅、復興支援団体「みんつな」を立ち上げ支援に関わりながら取材を続ける。写真と文章を駆使し、人間の可能性、命の価値を伝え続けている。2011年世界ピースアートコンクール入賞。
書籍:『ファインダー越しの3.11』(原書房)安田菜津紀/佐藤慧/渋谷敦志