活動ニュース

あれから11年、成長した子どもたちと復興の町 ―東日本大震災―

報告:KnKスタッフ 清水 匡

「走る!KnK子どもセンター」(2016年2月まで陸前高田市で運行)を利用していた子どもたち。成長しました。

新型コロナウイルス感染症が全世界で猛威を振るい始めてから2年以上が経ちました。この間、海外はおろか、東日本大震災の被災地も2019年12月を最後に行くことができませんでした。

東京の事務局もテレワーク体制となり遠隔で業務を進め、震災から10年目を迎えた昨年は山田町の公園に大型遊具を支援することができました。

とはいえ、地域の人、特に子どもたちの成長を間近に見ることができないのは寂しいものです。昨年末から年始にかけて感染が落ち着いた時期を見計らい、2年ぶりに岩手に行ってきました。

「走る!KnK子どもセンター」の運行

KnKは2011年12月から約4年間、陸前高田市内の学校や仮設住宅に移動型子どもセンター「走る!KnK子どもセンター」を運行し、子どもたちの学習機会と居場所を提供しました。中古の中型バスを改造したセンターは子どもたちに「勉バス」と呼ばれて親しまれ、利用者はのべ13,864名にのぼりました。この「勉バス」を始めるきっかけとなったのは、「今は塾も学童もなくて、放課後、子どもたちの居場所がないんです」という同市教育委員会の佐藤由也さんの言葉でした。

陸前高田市は、津波で市役所が全壊し111名の職員が犠牲となりました。教育委員会も大きなダメージを負いましたが、新学期に向けた学校再開という現実は待ってくれませんでした。震災から2週間後、支援のニーズ調査のため私たちは、ある建物の一部屋を間借りしている教育委員会を訪れました。丁寧に頭を下げ「ありがとうございます。我々だけが生き残りました」と話す佐藤さんの無表情な顔は今でも忘れることができません。

それからひと月後、教育委員会はコンテナハウスに移転しており、震災後、初めて椅子に座って打ち合わせしました。佐藤さんから「子どもたちの居場所がない」と聞いたのはその時です。子どもの居場所づくりはKnKの得意分野でもあったので、「早速うちでやりましょう!」とお返事しました。

しかし市内の校庭や広場は仮設住宅が建設され、センターのために大型テントを設置する場所はありません。そして、1カ所にセンターを設置した場合、各地域から子どもが通うには送迎が必須となり、保護者の負担が増えるだけです。そこで、KnKが以前、スマトラ沖津波の際に支援した「移動型図書館」の経験から、子どもたちの住む仮設住宅を我々から訪問する移動型子どもセンター「走る!KnK子どもセンター」を立ち上げました。

11年の時を経て

「こんな服着てたんだ!」と、子どもの頃の写真を見せると大声でカラカラ笑ったのは、小学生の時に「勉バス」に通っていた河野千乃(ゆきの)さん(18歳)。当時、仮設住宅に住んでいた千乃さんは「ある日、突然バスがやって来て、中に入ったら机といすが並んでてびっくりしました」と、初めてバスを見た時のことを振り返ってくれました。あの頃は、学校の校庭や広場には仮設住宅が立ち並び、子どもたちが遊ぶ場所が限られていました。千乃さんは、バスの外で遊ぶ時は、住居や車にボールをぶつけないように気を遣っていたそうです。小学生時代のスクールカウンセラーにお世話になったことがきっかけで、現在は大学で心理学を学び将来スクールカウンセラーになりたいと夢を教えてくれました。

2013年7月

2022年1月

「バスでは勉強だけじゃなくて、カードゲームとか色んな遊びをしました」と話すのは、背が高くなった松野俊太さん(18歳)。今思えばスポーツが大好きな俊太さんにあの「勉バス」は狭すぎたかもしれません。今年、半導体の会社に就職が決まり「コロナ禍ということもあり社会に貢献できるようになりたい」と、将来のビジョンを語ってくれました。

2014年9月

2022年1月

将来スポーツインストラクターになるための勉強をしている佐々木咲良(さら)さん(18歳)は、「勉バス」でスタッフとおしゃべりすることが好きだったと教えてくれました。友だちや家族に話せないこともスタッフに打ち明けていたようです。そんな咲良さんは高校時代、小学生のバレーボールチームを指導する機会があり「子どもたちが学び成長していく姿を見てスポーツインストラクターになりたい」と思うようになったそうです。

2012年5月

2022年1月

町の復興

成長しているのは子どもたちだけではありません。震災以降、私が被災地域を訪れる度に戸惑うのは、道を覚えられないことです。それは方向音痴だからではなく、町の復興計画で土地が整備され、新しい公共施設や住宅、商業施設が建設されるため、車のナビは当てにならず、目印にしていた標識も取り除かれたりと、町はこの11年で大きく変化を遂げてきました。

防潮堤の建設

2011年3月

2022年1月

福伏(ふっぷし)は陸前高田市長部地区に位置する小さな集落です。福伏のようにこれまで大きな防潮堤がなかった地域でも、新たな津波レベルを想定し防潮堤が建設されました。

復興道路の開通

2011年3月

2016年10月

津波は撮影場所の高台の唐丹駅を越え、唐丹の集落を襲いました。3年後の2014年4月、三陸鉄道南リアス線は大船渡市の盛駅から釜石駅まで全線再開しました。写真奥に写っている片岸高架橋は三陸沿岸道路(通称:復興道路)として2019年に開通しています。

BRT大船渡線の運行

2011年3月

2016年3月

気仙沼駅から盛駅をつなぐ大船渡線は全体の35%の線路が震災により流出しました。早急な復旧、かさ上げを伴う町づくりへの柔軟な対応やコストなどを考慮し、2013年3月、専用道路整備によるバス(BRT)の運行に切り替わりました。運行本数も鉄道時代と比較し1.5~3倍に増え利便性も増しました。

釜石市鵜住居地区 -釜石の奇跡-

2011年9月

2022年1月

鵜住居(うのすまい)地区にある鵜住居小学校と東中学校は、当時、教員や生徒、地域の人々の迅速な判断により、登校していた児童生徒は全員無事で「釜石の奇跡」とも言われています。全壊した校舎は取り壊され、ラグビーワールドカップの会場にもなったラグビー競技場が新設されています。

国境なき子どもたち(KnK)写真展

昨年、コロナの感染拡大で中止を余儀なくされたKnK写真展「時を重ねて―東日本大震災から現在―」を今年4月に東京で開催いたします。震災以降、被災地の人々に寄り添い続けてきたフォトジャーナリストの安田菜津紀さん、佐藤慧さんと一緒にオンライントークも実施します。

「時を重ねて―東日本大震災から現在―」

撮影:安田菜津紀、佐藤慧、清水匡
期間:4月7日(木)~13日(水)
会場:アイデムフォトギャラリー「シリウス」(入場無料)
オンライントーク:4月7日(木)18:00~19:30(参加費無料)

©安田菜津紀/Dialogue for People

 

※東日本大震災の復興支援に対するご寄付は、今年3月末で受付終了とさせていただきます。
これまでのご支援に深く感謝申し上げます。

 

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