今年は写真家のハービー・山口さんをパレスチナに派遣し、KnKが現地NGOと共に運営しているユースセンター「希望の家」に通う子どもたちや人々の暮らし、そしてそこに存在する「壁」を写していただきました。
日本からはるか遠いパレスチナ。そこで生きる子どもたちや彼らを取り巻く問題について、皆さまと共に考える機会となれば幸いです。
お誘いあわせの上、ぜひご来場ください。 (モノクロ約40点)
日時:2014年4月24日(木)~5月7日(水) 10:00~18:00 (最終日は15:00まで)
※4月27日(日)、5月3日(土)~6日(火)は休館
会場:アイデムフォトギャラリー「シリウス」 東京メトロ丸の内線新宿御苑前駅そば
1973年、当時ロンドンに住んでいた僕はクエートに行ったことがあった。そこで会ったとても美しく利発そうな女子学生にカメラを向けた。 「クエートの方ですか?」 「そうじゃないの、私はパレスチナから来ているの、でもね、私たちの国はないのも同然なの」 当時23歳の日本を出て3ヵ月、世界の何も知らない僕は、ふと見せた彼女の祖国への寂しい想いを少なからず感じて、キャンパスの中に消えて行く後ろ姿を見送った。その彼女の祖国パレスチナに僕は初めて旅することになった。 2013年11月のことだった。パレスチナには地中に埋蔵された資源はない。これといった産業もない。それどころかイスラエルとの争いがあるのみだ。数日パレスチナにいると彼らのフレンドリーな気質のお陰で、とても元気になっている自分を発見した。そんな彼らは僕に言う。 「イスラエルの人たちだって、我々とブラザーなのに!なんで紛争が続くのかね?政治が全て悪いんだよ」 毎日KnKのセンターに行った。ここでは地域の子どもたちを集めて教育支援をしている。ここで働いているパレスチナ人の先生たちは口を揃えて言った。 「世界の人は、我々のことをテロリストだと言うけれど、それは間違っている。我々大人は、子どもたちが決して希望を無くさず、恐怖を感じることなく立派な大人になって欲しいと願っているの!」 そうした子どもたちを目の前にして、彼らのために僕は何を撮影すれば良いのだろうか。出て来た結論は「彼らのパレスチナ人としての誇りを撮るべきではないか」ということだった。パレスチナとイスラエルを分離する壁。そうした対立があるのに友好的に解決する術を誰も知らない。だがパレスチナには誇り高きフレンドリーで美しい子どもたちがいることをただ知って欲しいのである。 ハービー・山口 |
4月26日(土)14:00~15:30 写真家によるギャラリートーク/司会:渡辺真理氏
※要申込 お名前とご連絡先をお書き添えの上、国境なき子どもたちにEmail kodomo@knk.or.jp でお申込ください。
日時:2014年4月24日(木)~5月7日(水) 10:00~18:00 (最終日は15:00まで)
※4月27日(日)、5月3日(土)~6日(火)は休館
会場:アイデムフォトギャラリー「シリウス」 東京メトロ丸の内線新宿御苑前駅そば
TEL 03-3350-1211
主催:国境なき子どもたち(KnK)
企画・構成:国境なき子どもたち(KnK)、FID/映像開発フォーラム
協賛:堀内カラー
協力:G.I.P.Tokyo
【ハービー・山口氏 プロフィール】
1950年、東京都出身。中学2年生で写真部に入る。大学卒業後の1973年にロンドンに渡り10年間を過ごす。 一時期、劇団に所属し役者をする一方、折からのパンクロックやニューウエーブのムーブメントに遭遇し、デビュー前のボーイ・ジョージとルームシェアをするなど、ロンドンの最もエキサイティングだった時代を体験する。そうした中で撮影された、生きたロンドンの写真が高く評価された。 帰国後も福山雅治など、国内アーティストとのコラボレーションをしながら、常に市井の人々にカメラを向け続けている。 多くの作品をモノクロームの、スナップ・ポートレイトというスタイルで残している。 その優しく清楚な作風を好むファンは多く、「人間の希望を撮りたい」「人が人を好きになる様な写真を撮りたい」というテーマは、中学時代から現在に至るまでぶれることなく現在も進行中である。 写真発表の傍ら、エッセイ執筆、ラジオ、テレビのパーソナリティー、さらには布袋寅泰のプロジェクト「ギタリズム」では作詞家として参加している。
審査員:CAPA(学習研究社)カメラライフ(玄光社)の月刊フォトコンテスト、よみうり写真大賞
選考委員:上野彦馬賞
受賞歴:2011年度日本写真協会賞作家賞
【終了報告】
全9日間の来場者は609名。会場に設置した募金場へのご寄付は21,669円のご寄付をいただきました。会場での物販売上は前年比145%と好調でした。
会期中、4月25日(金)には高円宮久子さまにご来場いただき、パレスチナの町の様子や子どもたちの写真を一枚一枚時間をかけてご覧いただきました。(5月11日/読売新聞)
また、4月26日(土)に行ったギャラリートークは、渡辺真理さんのご協力もあり、いつものように賑やかな催しとなりました。
*来場者アンケート*
① 男性 1972年生まれ:街の人々の瞳から垣間見える表情を感じようと思って拝見しました。母が子を見る瞳の表情はどこの国も同じだと改めて感じました。
② 女性 1972年生まれ:全てモノクロなので“色”という余計な情報が無い分、被写体に素直に目が向きました。そして“写真”というツールでも支援できるというのは素晴らしいと思います。これからもこの活動が継続されることを願います。
③ 女性 1981年生まれ:壁の高さ、理不尽さ、壁と人々との温度差を感じました。人が人らしく、生きている実感を持って誇り高く生きられることを祈ります。
ハービー・山口 × 渡辺真理 (ギャラリートークより一部抜粋)
【ハービー】 23歳でロンドンに単独で行きイギリスにいたころ、1973年11月、オイルショックが起きました。
当時、英語のクラスにクウェートの友人が何人かいて、オイル産油国である彼らの国に興味がわき、行きました。
クウェートの大学に行った時に、きれいな女子大生がいたので撮影させてください、とカメラを向けました。憂いのある瞳が印象的でした。「失礼ですが、クウェートの方ですか?」と聞いたら、
「私はパレスチナなのです」、「パレスチナにはもう戻れないのです」と言っているようです。当時英語がまだよくわからないなりに理解しました。
その時、パレスチナの人は悲しみを持っているんだなと思ったのです。
ドミニクさんからパレスチナに行かないかとオファーされた時に、真っ先にその彼女のことを思い出して「行きたい」と思いました。
(中略)
【ハービー】 ロンドンなんかは40年前と今で全然違うけど、パレスチナは大きな都市改造だとか資本も無いと思うけど、以前のクウェートと変わらない景色だった。
一番ショックなのは入植地。イスラエルの家々がパレスチナの集落にぽつぽつと入っていて、そこが入植地なんですね。蝕んでいるようにいたるところに入植地があって、そこにはパレスチナ人は入れない。その内パレスチナという国は無くなるんじゃないかと思った。
(略)