こんにちは。パキスタン事業担当の大竹です。
KnKは、2005年から学校再建や女子教育普及を支援してきたハイバル・パフトゥンハー州(KP州)の事業を昨年11月に一旦終了しました。
数万人もの女の子たちが学びに向かった姿を振り返ると、2014年のノーベル平和賞受賞者マララ・ユスフザイさんのことを思い出さずにはいられません。女子教育のために闘うシンボルともいわれるマララさんは、男女の教育格差の大きいKP州の出身です。
2019年4月、東大の入学式でこのマララさんのお父さんの言葉が紹介されました。上野千鶴子さんのその祝辞もまた私にとっては非常に印象的なものでした。
「マララさんのお父さんは、『どうやって娘を育てたか』と訊かれて、『娘の翼を折らないようにしてきた』と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。」
そんなお父さんだったからこそ、武装勢力に襲われてもなお「1本のペンが世界を変えられる」とひるまず立ち上がる今日のマララさんがあると感じます。一方、どれだけの女の子たちが、自分の可能性や本来持っている力の翼をひろげられないまま過ごしてきたのかと想像すると、これまでの活動に一つの区切りをつけることにも躊躇します。
祝辞の中で上野さんはまた、女性などマイノリティーに対する東大生たちの優しさの欠如を指摘していました。
「あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください」「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」
なるほど、東大生にとってパンチの効いた言葉だなと聞き入っていたところ、後半の部分にさしかかると、「え?『恵まれた』人々と『恵まれない』人々をそもそも分けて話されている?」「それこそ分断を招くのでは?」「強者が弱者を助ける構造って?」という違和感が私の中に湧きました。いやいや、そんな単純であるわけがない、違う見方があるのかもしれない、という思いで、この祝辞を取り上げているウェブサイトをいくつか読んでいたところ、上野さんが認知症予防ケアの講義で言われた言葉が刺さりました。
「親が認知症にならないことを目指すのではなく、認知症になっても安心して暮らせる社会を目指したい。目指すべきは、安心して弱者になれる社会です。」
年を重ねれば、みな誰かに頼り支えられる日々がくる。それは東大生も私たちも変わらない。年を取らずとも今現在もそう違わないかもしれない。そんな想像をしたら、上野さんが祝辞に込めた意味がもう少しだけわかったように思いました。強者VS弱者ではなく、自分の弱さを一人ひとりが自覚できることが大事ではないかとも考えます。
当時ネットでも賛否両論を呼んだ上野さんの祝辞の中には、考えさせられる様々なメッセージが織り込まれていました。