この節目にカンボジア事業スタート当初からKnKの活動に携わっている海外事業部・大竹綾子からのメッセージをお読みください。
私の原点、カンボジア
人身売買にかかわらず、それぞれに過酷な子ども時代を経てKnKが運営する「若者の家」にたどり着いた子どもたちが一歩を踏み出すまでの間、彼らは喜びや意気込み、憎しみや絶望感など本当にさまざまな表情を見せてくれました。「母さんがブローカーに1,500バーツ(2001年当時で約5,000円)を渡して、僕はタイへ行くことになった」と話してくれた男の子サメット(仮名、当時16歳)は、その後もタイとの国境を何度も越えたといいます。タイのリゾート地で外国人との性的関係を強要され、ドラッグ漬けになってカンボジアへ送還されました。はじめのうちはタイの生活が恋しいと脱走を試みたサメットに、KnKが社会福祉省と共催する報告会で、自身の生い立ちや経験を話してほしいと心配しながらも頼んでみました。そして当日、大勢の前で演壇に立ったときの彼の誇らしくたくましい顔つきは今も忘れられません。
ダンに裏切られたような感覚と私にできることなどないという無力感が交錯しました。悶々とする中、バッタンバンや国境沿いのスラムを歩き、ストリートの子どもやソーシャルワーカーと話をし、タイで子どもを拘留する収容所や施設を訪ねて回りました。そうすることで自ずと現状を知り、並大抵でない道のりを歩いてきた子ども一人ひとりにいつからか尊敬をもって耳を傾けるようになっていたと思います。
4年ぶりにカンボジアへ
今夏、4年ぶりにカンボジアへ出張する機会がありました。カンボジアの急激な経済成長がKnKの裨益者を取り巻く環境も変えているように感じました。数多くの外国企業が進出し、現地の起業家も増え、雇用の機会も確実に増えましたが、村人の多数が未だタイに出稼ぎに行っているのも事実です。モノ自体は増えているため、皆がバイクや携帯を持ち、暮らしが華やかになったように見える一方で、「明日ガソリンが入れられるか」、「子どもの学費が払えるか」、「食べ物が足りないのでは」、といった日常の心配が尽きない庶民も多く存在しています。十数年前とは異なるレベルの格差が拡がっていました。人身売買はもはや深刻でないものの、親の出稼ぎは依然多く、人々のモダンな生活への憧れや追従が目立つ中、子どもたちが考えたり判断したりする力を蓄える本質的な教育を受けられていないように感じました。
7歳と3歳の子どもが可愛くて仕方ないと目を細めるリッティでしたが、生計の話になるとうつ向きがち。
カンボジアで出会った子どもたちが、今は親となり家族を支えています。私も今シングルマザーとして二人の子どもを育てています。子どもたちの父親はKnKの活動で知り合った元ボートピープル。両親に捨てられ、戦争で生涯を翻弄された一人です。次の世代にどう生きる力を託していくか、いつのまにか私もリッティや「若者の家」の卒業生と同志になっていました。
大竹綾子
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20年間の感謝を込めて
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