かべを作っていたのは、私だった。本当はかべなんてない。
国境なんてない。
国境なき子どもたちが運営するジャバルアンマンのユースセンターで、7月21日に、8人のみんなと出会った。みんな年上で、言葉はそのまま通じない。ちょっと不安になった。でも、みんなと街を歩くと、その気持ちは変わっていった。みんな明るくて国のちがいを感じさせなかった。1人で固まっていた自分をはずかしく思った。
私はヨルダンに来る前、ヨルダンは中東にあるからとっても危ないのだろうと思っていた。イラクやイスラエルがある中東はずっと争いが絶えないから。けれども行ってみると、危ないと思うことは1度もなかった。取材したイラクの人も『戦争している国の人』という感じは全くしなかった。ヨルダンはにぎやかで、貧困やイラク難民などの問題はあるけれど、いい国だった。「中東」とひとくくりにしているけれど、すべての国が危ないわけではないと思った。
このように、イメージだけで私たちはいろいろなことを決めつけてしまう。フルートさんは、自衛隊だけで、日本がきらいになっていた。だから、KnKと出会うまで、日本=自衛隊というイメージだった。わたしもそうだ。ヨルダン=こわい国だと思っていた。イメージで決めつけないためにも、他の国に行って、仲良くなることは大切だと思った。また、私は「国、言葉、宗教のかべをなくして取材しよう!」と思っていた。ぶあついかべがあると思っていた。けれど も、現地のみんなにかべなんてなかった。明るくて、やさしくて、会ったしゅん間から友だち…親友みたいだった。かべを作っていたのは、私だった。本当はかべなんてない。国境なんてない。私たちは、本物の「国境なき子どもたち」だった。難民問題や貧困を取材しに行ったヨルダンで、私はとても大切なことに気付いた。
香村 巴月 (当時11歳) |