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2011年夏休み 友情のレポーター ヨルダン取材
香村 巴月 さん (香川県/当時11歳) 石井 大智 くん (広島県/当時14歳)
派遣期間 2011年7月20日(水)〜7月29日(金)

かべを作っていたのは、私だった。本当はかべなんてない。
国境なんてない。


国境なき子どもたちが運営するジャバルアンマンのユースセンターで、7月21日に、8人のみんなと出会った。みんな年上で、言葉はそのまま通じない。ちょっと不安になった。でも、みんなと街を歩くと、その気持ちは変わっていった。みんな明るくて国のちがいを感じさせなかった。1人で固まっていた自分をはずかしく思った。

友情のレポーター写真私はヨルダンに来る前、ヨルダンは中東にあるからとっても危ないのだろうと思っていた。イラクやイスラエルがある中東はずっと争いが絶えないから。けれども行ってみると、危ないと思うことは1度もなかった。取材したイラクの人も『戦争している国の人』という感じは全くしなかった。ヨルダンはにぎやかで、貧困やイラク難民などの問題はあるけれど、いい国だった。「中東」とひとくくりにしているけれど、すべての国が危ないわけではないと思った。

このように、イメージだけで私たちはいろいろなことを決めつけてしまう。フルートさんは、自衛隊だけで、日本がきらいになっていた。だから、KnKと出会うまで、日本=自衛隊というイメージだった。わたしもそうだ。ヨルダン=こわい国だと思っていた。イメージで決めつけないためにも、他の国に行って、仲良くなることは大切だと思った。また、私は「国、言葉、宗教のかべをなくして取材しよう!」と思っていた。ぶあついかべがあると思っていた。けれど友情のレポーター写真も、現地のみんなにかべなんてなかった。明るくて、やさしくて、会ったしゅん間から友だち…親友みたいだった。かべを作っていたのは、私だった。本当はかべなんてない。国境なんてない。私たちは、本物の「国境なき子どもたち」だった。難民問題や貧困を取材しに行ったヨルダンで、私はとても大切なことに気付いた。

香村 巴月 (当時11歳)


ユースセンターでは9つの国籍が存在する。

キファさんの家はアンマンでも貧しいジュファという地域にある。窓もなく、床もコンクリートがみえて、ふとんがじかに床にしかれていた。明かりもなく、部屋は薄暗い。お風呂もなく、小さな台所で体を洗っているそうだ。その中で10人がくらしている。子どもの父親はいない。衝撃的な光景に、質問が思いつかなくなった。どうにか、「貧しいと感じることはありますか?」と質問をつなげた ― ぼくはほっとしていた。しかし、インタビュー後にKnKスタッフに言われた ―「『あなたは金持ちですか?』 、そう言われたらどう思う?」と。「金持ち」とか「友情のレポーター写真貧しい」というのは価値観の問題で、キファさんが自分自身を貧しいと思っているかは分からない。しかし、ぼくは質問をしておきながら、キファさんを貧しいと決めつけていると。その「貧しい」は、豊かな国から見た価値観だと。彼の言葉もまた衝撃的だった。ぼくは気づいた。キファさんと同じ目線で、この家を見ていなかったことに。自分の価値観を押しつける質問をしていたのだ。キファさんに近づこうとしていなかったのだ。

ユースセンターの人たちは国籍も、家族構成も異なる。価値観も大きく異なるだろう。友だちになったロナークは「イスラム世界以外では、互いを思いやることができない」と言った。驚いたが、これが彼女の価値観なのだ。でも、お互いを理解し、言葉の通じないぼくたちに友情のレポーター写真対しても、きちんと向き合ってくれた。一方、ユースセンターのユーセフは「壁は越えられる」と言った。なぜ言い切れるのだろうと不思議に思ったが、共に活動していくうちに答えは見えてきた。ユースセンターでは9つの国籍が存在する。お互いの境遇を理解し、向き合った経験が「壁は越えられる」と確信させたのかもしれない。日本で多くの人に知ってもらいたいのは、「壁は越えられる」というユーセフの言葉だ。

石井 大智 (当時14歳)


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