世界難民の日に寄せてー今もシリア難民キャンプに残る人々の声

世界難民の日に寄せてー今もシリア難民キャンプに残る人々の声

2026.06.18

報告:ヨルダン/シリア難民支援 事業総括 松永晴子

ヨルダンにあるザアタリ難民キャンプは、2011年に勃発したシリア危機から逃れて来たシリアの人々のため2012年に開設され、一番多い時には20万人が暮らしていました。KnKは2013年から、ザアタリ難民キャンプにおいて緊急支援を開始し、現在はこのキャンプに残る唯一の日本のNGO団体として、活動を継続しています。
6月20日の世界難民の日に寄せて、2014年から活動に携わる松永晴子スタッフが、今もキャンプに暮らす人々の声を集め回りました。ぜひ、一人ひとりの声を読んで、その生活や気持ちを想像し、共に考えていただければと願います。

変化するキャンプの景色

6月のヨルダンは雨の季節が終わりを迎え、砂嵐がない限りは真っ青な雲ひとつない空が広がります。同時に暑さが急に厳しくなり、強い日差しが薄茶色の地面に白く反射する道を、目を細めて歩くことになります。

過去にも何度となく、6月の世界難民の日に向けて、キャンプに住む人々の話を聞いて回ってきましたが、今年のキャンプは昨年からまた、景色が変わってきました。シリアへ戻った人々の住んでいたプレハブの家が取り壊された、コンクリートの基礎だけの残った空き地が、至るところで広がっています。その空き地で遊ぶ子どももいれば、コンクリートの間から生えた草を喰むロバもいて、空が前よりもよけいに広く大きく、見えるような気がしてきます。

家のなくなった場所

空き地に生えた草を喰むロバの様子

空き地に生えた草を喰むロバの様子

ザアタリ難民キャンプの人口は、2014年ごろから2024年12月まで、8万人ほどを推移してきました。前政権崩壊後、その3割以上の人々がこの1年半の期間に自国へ戻り、現在では4万8千人ほどの人々が住んでいます。シリア難民、という言葉を耳にする機会はおそらく、日本ではほとんどなくなってきたかと思います。新しい政権が樹立されたことで、すでに難民の人々は自国へと戻っている、と思われる方々も多いかもしれません。ただ、実際には近隣国に留まる人々もいるのが現実です。

では、なぜ彼らはまだ、自国へ戻らない選択をとっているのか、その質問に対して、インタビューに答えてくださった方々にはさまざまな事情がありました。今回は、子どもたちではなく、留まることを決断する大人たちに話を聞いています。この記事を読む多くの方々は大人で、家庭があったりなかったり、生活に余裕があったりなかったりするかと思います。
どのような状況の方々にも、いくらかでも想像していただけましたら幸いです。

8年で育ったぶどうの木

人々はなぜキャンプに留まり続けるのか――それぞれの家庭の事情

ある家庭では、大学受験を控える子どもさんがいました。シリアへ今戻ると、これまで積み重ねてきたカリキュラムとは異なる試験を受けなくてはならず、無駄になってしまう、とお母さんは答えていました。
「これまで苦労して勉強してきたのに、だから、この一年は絶対にここにいなければ。家さえあれば、喧嘩しなくて済む、ここで狭い場所に住んでいるとストレスが溜まるのですが」と話します。けれど、下にも子どもさんはまだいるので、大学受験のことを思うと「誰かが犠牲になってしまう」とお母さんは言います。大学受験の子どもさんの受験が終わったところで、家族でまた帰還について話し合うことになるだろう、と話すお母さんの様子を、子どもさんは少し離れたところでじっと聞いていました。

「土地があったり、資産がある人。あとシリアにいる家族に呼ばれた人。家族、お母さんが恋しくて感情のままに戻った人もいる。けれども、環境の整ったところに帰れる人ばかりではない」とシリアへと帰還した近所の人たちのことを話します。
「友だちも親戚も、かなりの人が帰りました。最初は帰還を喜んでいましたが、生活が苦しくて戻ってきた人もいます。子どもたちが適応できなかった、と言って。1年経っても慣れないままの人もいるようです。子どもたちはここで生まれ育ったから、逆に『帰ろう』と言っても故郷と感じられないみたいです」

また、別の家庭の、商店を営んでいるお母さんは「お店をやっているから朝から晩まで忙しいけど、帰った人たちのことを考えると、心にぽっかり穴が空いたような気持ちになります」と話します。
だからと言って、シリアに戻って家や土地があるわけではないこの家族はまだ、キャンプの中での生活を選択しています。
以前ヨルダンで手術をしたことのあるお母さんはまだ治療が必要だけれど、「お金がなくてできない。家族も助けてくれないし、自分の稼ぎだけではとても足りない。お店もやっと成り立っているくらい」と話します。
「夫は少しだけだけど月給がある。だけど、生活を成り立たせるのに精一杯。キャンプの外では(労働許可がないため)働けないからストレスがたまって、血圧も上がっているようです」
話を聞かせていただいている間にも、すぐ横のお店の裏口から、お客さんが商品の値段を尋ねる質問が飛んできます。足元にフリルのついたレギンスを見せてもらいました。

お店の髪飾り

別のお宅では、きれいにバランスよくさまざまな植物が植えられていて、丁寧な手入れの行き届いた庭がありました。そこにはご老人が1人で住んでいます。妻と11人の子どもたちはすでにシリアへ戻りましたが、家長であるその男性だけが、キャンプに残って住んでいました。
「帰りたい気持ちはあります。でも、どこへ帰るんですか?世界中の人が『帰る』と言っています。うちの子たちも帰りたいでしょう。でも、家がありません。14年間、子どもたちのためにずっとここで我慢してきた。子どもたちを連れて出てきたのです。あの子たちのために残ってきたんです」娘さん8人を含む11人の子どもを持つ家族の長として、子どもたちを守るためにも安全な場所へ移動せざるを得なかったと話します。
ご老人の他の家族はシリアのダラアへ戻りましたが、住む場所がなくて知り合いのところに間借りをしているそうです。キャンプにはこのご老人だけが残り、家族と離れて暮らしています。
帰った人々の話題に移ると、「帰った人の中には、以前は同じように苦しい生活をしていたのに、今では自分のビジネスを持って、かつて同じ立場だった人たちとはもう付き合わなくなった人もいます」と話します。「神様がその人たちにお与えなさったものです」
「帰りたい人は帰ればいい。でも私には帰れる場所がない。シリアに帰っても路上に座るだけです。何もない、部屋もない、水もない、電気もない。ここでも生活は苦しいし、兄弟は誰も助けてくれない。自分の家族を養うのにみんな精一杯なんです」

庭には今までヨルダンで一度も、わたしの見たことのない小さな朝顔の株が白い小さな花を見事につけていました。たくさんの娘さんたちのためにヨルダンにやってきたこのお父さんは、娘さんたちと離れて暮らさなくてはならない代わりに、丁寧に花々を咲かせているようでした。

庭の花

シリアに戻った後の現実

シリアに戻った人たちも、ヨルダンに訪問することが1ヶ月まで可能になりました。昨年の9月にシリアへ戻り、1ヶ月だけザアタリキャンプの実家へ戻ってきている女性からも話を聞くことができました。
もともと住んでいた地域は、空爆で建物がコンクリートの枠だけを残してほぼ、何も残っていない土地でした。国外に逃げた家族のためにも、家を再建するために3部屋に14人、親戚3世帯でアパートメントを借りて住んでいます。日雇いの仕事をする旦那さんの稼ぎで暮らしていますが、「果物とお肉は、禁止!仕事はあるけど、給料が少なすぎる。その日に稼いで、その日に使い切ってしまう。食費も全然足りないから、果物なんて、買えないです」
「建設現場で長期の雇用があっても夫は月の初めに給料をもらって、月の半ばには使い切ってしまう。給料を前借りして、翌月の給料で返す。それでも足りないから、借金の連鎖になってしまいます」

また、戻る地域によっては、かつて民家のあったところに占領していた派閥が残していった地雷が残っていることもあります。
「自宅の近くに入ろうとした時、夫から『戻れ!』と叫ばれました。数日後、夫が近所の家で作業をしていたら、地雷と焼夷弾が見つかりました。もし夫が踏んでいたら、家ごと爆発していたと思います」
それでも、家の再建のためにシリアで暮らしていくことを家族で決めたこの女性のお母さんは「たくさんのお土産を持たせなくては」と話していました。

 

もう幼稚園から戻ってきた子どもたちが家にいるタイミングで伺った家庭もありました。
シリアへ戻りたい?と尋ねると、子どもたちではなくお母さんが代わりに答えました。「家がないんです。夫の実家はあるけど、窓もドアも基礎のコンクリートも電気も、何もない。ただ建物があるだけなのです。夫は帰ることを考えていないし、今キャンプの中で仕事をしている収入は子どもたちのために使っています」
お母さんは続けて、「帰りたいです。でも、ちゃんとした家があってこそ。路上に座るためには帰れないでしょ。強制的にここへ連れてこられた私たちが、また強制的に帰るわけにはいかない。ちゃんとした家があって、安心して暮らせる場所があれば」そう話していました。
7歳になる娘さんにあらためて、シリアは好き?と尋ねると、「好きだけど、、、、なぜか好きかはわからない」と答えていました。

シリアへ戻った知り合いについてお母さんに尋ねてみたところ、家がある家族は落ち着いていて、砂埃もなく、精神的に楽だ、と聞いたそうです。ただ、「生活費の捻出がとても大変で、すべてがとても高くて経済的にはとても厳しいそうです。だから、帰ることを強くは勧めてくれないんです」と話していました。
来学期から年中さんになる男の子が、スパイダーマンの柄のついた新しいバックパックと、キャスター付きの小さなバックを二つ、見せてくれました。まだ、登録できる幼稚園を探しているところだとお母さんは話していますが、男の子は背中と両手にバッグを抱えて嬉しそうでした。

新しいバッグと共に。新学期を待ちわびる子どもたち

帰還をめぐる葛藤とこれから

まだ他にも、訪問させていただいたお宅があります。どの家庭も、シリアに住む家がないこと、また、難民としての今の生活と比較しても、帰還したあとの経済的な厳しさを苦慮する様子がありました。
同時に、ザアタリ難民キャンプに来た人たちの中には、難民キャンプではなくヨルダン人と同じように住宅に住む生活を望んで国境を越えたのに、親族の伝手や特別な事情がない限り、難民キャンプへ連れてこられた人も多かったことを、話を聞きながら思い出しました。
そんな人たちにとって、最後の話のお母さんの、強制的に連れてこられて、また強制的に戻されるなどできない、という言葉は、ひどく納得するものでした。

帰還という言葉は、帰れる人たちにとっては輝く希望に満ちた言葉にもなりえますが、帰れない状況にある人たちにとっては時に、プレッシャーやストレスを伴って響くのかもしれません。

「前政権の崩壊後、私の人生は止まってしまいました。前に進めていない。生活がシリアへ戻ることに縛られているからか、ここにいるという葛藤の中にあるからか、、、、この葛藤は解決に至っていません。ここには子どもたちの生活と教育の安定がある。一方で、ここに留まるのもとても難しい。ここはキャンプで、先がなく、未来もないのです」

インタビューに答えてくれた女性の一人の言葉です。
帰還する人々が身近にたくさんいるキャンプの中で、多くの人々がこのような葛藤を胸に、キャンプに留まっています。

戦争が終わっても、その後に安全、安心な生活の基盤を手にいれるまでの、個々人のさまざまな道のりは、それぞれ異なり、そのための我慢やストレスはまだまだ続きます。それはおそらく、シリアに戻っても、キャンプに残ってもあるように聞こえます。

前政権が崩壊する前までは、帰還を夢のように語っていた子どもたちも成長して、少なくない数の生徒たちがシリアへ戻っていきました。いつかシリアへ戻った時に、助け合い、協力してよりよいコミュニティを、社会を作る人材となってほしい、という気持ちを抱いて、私たちは、2013年からヨルダンにおいてさまざまなシリア難民支援に関する活動を実施してきました。特に難民キャンプで実施する特別活動には、誰もが意見を言える、他者の意見を聞く、話し合いをする、など、前政権下では体現が難しい、でも基本的な人権の基であり、身の回りの人々とともに安心、安全な環境を創るための内容として、特別な思いがありました。

シリアへの帰還が決して夢物語ではなくなった今、国をまたぎ、シリア人であるそれぞれの土地の子どもたちが、それぞれの今の、そして未来の安全、安心を自らの手でつくるための手段をできる限り携えられるよう、事業を実施していきます。

出してもらった手作りのお菓子のまーむーる

【ヨルダン(シリア難民支援)活動概要】

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