友情のレポーター 30周年記念 特別企画 ‐ふたたび君へ綴る、言葉の花束‐

友情のレポーター 30周年記念 特別企画 ‐ふたたび君へ綴る、言葉の花束‐

2025.06.17

1995年にスタートした「友情のレポーター(旧 子どもレポーター)」は、今年で30周年を迎えます。これまで、紛争や感染症のまん延などで、実施を見送った年も数回ありますが、一般公募で選ばれ、海外事業地を取材したレポーターは、開始から30年で総数70名となりました。

1995-2024 子どもレポーター/友情のレポーター

世界の国で取材を行いながら、日本と取材先の子どもたちの友情を育むのが「友情のレポーター」です。帰国後は自分たちが見たこと、知ったことを日本の人々に広く伝え、日本で暮らす私たちにはどのようなことができるのか、考えていくのがその役割です。

今回、30周年を記念し、元レポーターと現地で交流した当時の子どもたち、双方による手紙を通じて、「友情のレポーター」参加後に彼らがどのように成長し、このプロジェクトがどのような役割を果たしてきたかを紐解いていきます。また、年末に向けて元レポーターたちによるトークイベントの開催も予定しています。

はじめに、「子どもレポーター/現友情のレポーター」を始めたKnK創設者、ドミニク レギュイエのメッセージをご紹介します。

私の人生の中で数マイルを共に旅した若きレポーターたちへ、
公開で(そしてとても個人的な)手紙を贈ります

「子どもレポーター」から「友情のレポーター」へとプロジェクト名を変えた2003年、カンボジア取材時のひとコマ。右端がドミニク レギュイエ

皆さん、こんにちは 
親愛なる友人たちへ

まず初めにお詫びを。名前をすべて覚えているとは言えません。でも、あなたの顔は、ひとりとして忘れていません。

プノンペンの病院で気を失いかけたあなたを腕の中で支えたこと。中国の大通りを渡るとき、私の手をぎゅっと握ってきたあなた。ベトナムのバスの中で、肩にもたれて眠ったあなた。そんな記憶が今も鮮やかです。

私たちはよく笑い、よく歩き、たくさん話しました。どんな言葉だったかは思い出せません。私はあなたの言語を話せず、あなたも私の言葉を知らなかった。でも、目と手と笑顔で、ちゃんと通じ合っていた気がします。

そして、出会った他の子どもたちのことも、忘れてはいません。言葉も宗教も肌の色も、私たちとは違う彼ら。でも多くは、貧しさの中で、暴力を受け、中には愛されずに育ってきた子たちもいました。
「もう涙は出ない。全部泣ききってしまったから」と話してくれたカンボジアの少年のことを、私は今も忘れられません。
彼らは私たちとは違っていた。でも、どこかで私たちと変わらないところもありました。
守られたいという気持ち。名前を持ち、学校に行き、幸せに生きたいと願うこと。誰かを愛し、愛されたいという想い。それは、私たちとまったく同じだったのです。

帰国後、君たちの保護者は「うちの子が変わった」と口をそろえて話してくれました。見たことのない世界を知り、目の奥が変わったと。そして、少しだけ心を開いた子もいたように思います。

私たちの旅が、出会った子どもたちにも何かをもたらしたのか――私には確信があります。出発の空港で流した彼らの涙。悲しみと、そして喜びの涙でした。彼らもまた、君たちの顔を、今も大切に覚えているはずです。
私たちは、ただ共に成長したのです。
私にとって、マラウイから東ティモール、パレスチナ、中国、カンボジア、フィリピン、ラオス…世界を巡る旅は、君たちと共にあるものでした。私のエネルギーの多くは、君たちからもらったものです。君たちの笑い声、真剣なまなざし、情熱、そしてかけがえのない仲間意識。どれも、私の人生にとって宝物です。
日本の若者たちが、世界の子どもたちと出会う姿を見ることが、私は心から好きでした。

そして今、25年の日本での活動を終え、新たな冒険をフランスで始めています。笑うことは変わらず好きですが、歩くスピードは少し落ちました。
君たちは今、家庭を持ったり、仕事をしたり、それぞれの人生を歩んでいます。初代のレポーターたちはもう40代、50代。時が経っても、物語は続いています。
もし、いつか南フランスを訪れることがあれば――あなたでも、あなたのお子さんでも――どうか気軽に立ち寄ってください。私の扉はいつでも開いています。

心からの友情をこめて。

ドミニク レギュイエ

ドミニク・レギュイエ プロフィール

1952年、パリで生まれる。路上での青少年指導をしていた学生時代を終えてから、数々の「旅」を試み、南アメリカ、インドやアジア各国、オーストラリア、ニュージーランド、そして日本に足を運んだ。1983年、フランスの国境なき医師団(MSF)活動に参加。1年間エチオピアで過ごし、その後MSFパリ事務所で働く。1992年、日本でMSF日本を立ち上げた。その後、何人かの志をともにする仲間と「国境なき子どもたち」を設立。2017年まで事務局長を務めた。現在フランス在住。

レポーターたちに聞きました!

Q:子ども/友情のレポーターは、他のスタディツアーや観光での訪問と何が違うと思いますか?

●観光での訪問とは全く違うと思います。現地の子どもたちの置かれている状況が自分の日常といかに異なるか、それなのに彼らと自分に何か大きな違いがあるか、というのを実感するには、彼らの生活におじゃましてみないと分からないと思いますが、観光ではそうはいきません。

●観光ではいけないようなところを訪問できる。スタディツアーより少人数で行動できるため、より主体性を持って現地の状況を学べる。

●自分に伝える義務があると意識すること。

●観光とは明らかに異なります。現地での人々の生活やその人自身のことを観光では絶対に知れない奥深い部分にまで、さまざまな活動を通して知ることができて、幅広く勉強になりました。他の国では同世代の子どもたちがどのようにして生きているのか、自分たちと何が同じで何が違うのか、どうやったら心を通わせることができるのか、たくさん悩み、答えはみつからなくても考えることができると思います。

●人の心ととことん、向き合う時間があること。観光では目を背けてしまう場所に、敢えて目を向けていること。

●遊びではないということ。自分が見た現実を他の人に伝える使命があること。

 ●友情のレポーターは友だちができ、楽しいこともあるが、レポートという仕事に戻るたびに先ほどまで一緒に遊んでいた友人が抱える問題に動揺し、考える機会を与えられる点が苦しいけれどとてもいいものだと思う。その両方の機会があるからこそ、帰国してからも何度も思い直し、物事に対する考え方や抱く感情も変わっていき、帰国後数年かけて成長できたと思うし、それはこれからも続くと思う。

●人の心にじかに触れることで、目の前の出来事や環境が「他人事」から「自分ごと」に変わることだと思います。

●「自分で考え、自分で行動し、自分で伝える」これに尽きると思います。ツアー客ではなく、自分が役職を与えられ、責任を負うのが友情のレポーターだと思います。

日本と海外の子どもたちが互いの違いや共通点を学び、友情を育み、共に成長できる社会を広げていくため、これからも応援をよろしくお願いします。

寄付する
資料請求

新着の記事 一覧をみる