活動ニュース

「次の世代にどう生きる力を託していくか」海外事業部・大竹綾子からのメッセージ

国境なき子どもたち(KnK)は、多くの方々に支えていただき、2017年9月で設立20周年を迎えました。これまで日本を含む15の国と地域の子どもたちとご縁が生まれ、彼らの人生がより良きものとなるように、教育支援や自立支援を続けることができました。
この節目にカンボジア事業スタート当初からKnKの活動に携わっている海外事業部・大竹綾子からのメッセージをお読みください。

私の原点、カンボジア

私がKnKの創設者ドミニク・レギュイエと初めて会った面接の日。いくつか質問を受けた後、「カンボジアでたくさんの人と出会ってきてほしい。それを一番期待している」とその場で採用が確定しました。その言葉のとおり、私がKnKで活動を続ける原点はカンボジアにあります。駐在した2001年からの3年間、子どもたちとの出会いと交流、彼らに必要なものは何か、自分やKnKには何ができるのか、行ったり来たりしながらも一心にコミットし続けた日々は私の人生にとってかけがえのないものです。

「若者の家」で暮す女子と大竹(中央)/2003年

当時は、過去数十年にわたる内戦や政情不安の後で、カンボジアでは子どもの売買が社会現象化していました。経済の発展とそのひずみから大人たちがよりよい職を得ようとタイに出稼ぎに出る一方で、何千という子どもが売買され、犠牲となっていました。トラウマを乗り越え社会人として自立するまで、根気強く寄り添い、また政府や国際機関、他団体と連携しフォローアップの仕組みを強化していくなど、私たちの役割は多岐にわたり、奮闘の毎日でした。

「若者の家」で暮す子どもたちとアンコール・ワットを訪問/2003年

人身売買にかかわらず、それぞれに過酷な子ども時代を経てKnKが運営する「若者の家」にたどり着いた子どもたちが一歩を踏み出すまでの間、彼らは喜びや意気込み、憎しみや絶望感など本当にさまざまな表情を見せてくれました。「母さんがブローカーに1,500バーツ(2001年当時で約5,000円)を渡して、僕はタイへ行くことになった」と話してくれた男の子サメット(仮名、当時16歳)は、その後もタイとの国境を何度も越えたといいます。タイのリゾート地で外国人との性的関係を強要され、ドラッグ漬けになってカンボジアへ送還されました。はじめのうちはタイの生活が恋しいと脱走を試みたサメットに、KnKが社会福祉省と共催する報告会で、自身の生い立ちや経験を話してほしいと心配しながらも頼んでみました。そして当日、大勢の前で演壇に立ったときの彼の誇らしくたくましい顔つきは今も忘れられません。

「若者の家」で受け入れた100名を超す子どもたちと関わる中では、悲しいできごともありました。不意に家を出て親元に帰ってしまったダン(仮名、当時15歳)を見つけ出そうと、ベトナム出身の貧困家庭が密集するスラムへ出かけたことがあります。彼に会って、バッタンバンへ戻り学校へ通うよう説得することができ、その後もそばで日ごと見守っていました。ですがある日、「自分には障害があるからタイで物乞いをすればお母さんを助けることができる。どうしようもないんだよ」というメモを残してダンは再び去ってしまいました。彼は生まれつき片方の脚が悪く、引きずって歩いていたのです。
ダンに裏切られたような感覚と私にできることなどないという無力感が交錯しました。悶々とする中、バッタンバンや国境沿いのスラムを歩き、ストリートの子どもやソーシャルワーカーと話をし、タイで子どもを拘留する収容所や施設を訪ねて回りました。そうすることで自ずと現状を知り、並大抵でない道のりを歩いてきた子ども一人ひとりにいつからか尊敬をもって耳を傾けるようになっていたと思います。

4年ぶりにカンボジアへ

今夏、4年ぶりにカンボジアへ出張する機会がありました。カンボジアの急激な経済成長がKnKの裨益者を取り巻く環境も変えているように感じました。数多くの外国企業が進出し、現地の起業家も増え、雇用の機会も確実に増えましたが、村人の多数が未だタイに出稼ぎに行っているのも事実です。モノ自体は増えているため、皆がバイクや携帯を持ち、暮らしが華やかになったように見える一方で、「明日ガソリンが入れられるか」、「子どもの学費が払えるか」、「食べ物が足りないのでは」、といった日常の心配が尽きない庶民も多く存在しています。十数年前とは異なるレベルの格差が拡がっていました。人身売買はもはや深刻でないものの、親の出稼ぎは依然多く、人々のモダンな生活への憧れや追従が目立つ中、子どもたちが考えたり判断したりする力を蓄える本質的な教育を受けられていないように感じました。

2017年現在の「若者の家」

もうひとり、「若者の家」で育った少年で、2児の父親になったリッティとの再会が出張中に叶いました。両親を地雷で亡くしたリッティは勉強熱心で、「若者の家」でもリーダー格、スタッフの補佐をするような好青年でしたが、その後は仕事が長続きせず、職を転々としています。

7歳と3歳の子どもが可愛くて仕方ないと目を細めるリッティでしたが、生計の話になるとうつ向きがち。

2002年当時のリッティと大竹

「カンボジアはこれだけ発展しているのに、一部の人に富が集中して農村の人々が恩恵を受けていない」 不安定さを未だ拭えないリッティにとって、そのうえ不条理な社会の中での子育てがどんなに大変なものか、彼の表情を見ても想像に難くありません。

リッティと久しぶりの再会/2017年8月

カンボジアで出会った子どもたちが、今は親となり家族を支えています。私も今シングルマザーとして二人の子どもを育てています。子どもたちの父親はKnKの活動で知り合った元ボートピープル。両親に捨てられ、戦争で生涯を翻弄された一人です。次の世代にどう生きる力を託していくか、いつのまにか私もリッティや「若者の家」の卒業生と同志になっていました。

今回の出張で、リッティの他に「若者の家」の卒業生6名と電話で話すことができました。そのうちの一人が「皆が集まれば何かできるかもしれない。KnKのサポーターとしてアクションを起こそう!」とFacebookで卒業生に呼びかけていると教えてくれました。反応はまだ少ないようですが、こうした一人ひとりの力が私たちKnKの背中を押し、次世代の未来を作っていくものと思います。子どもたちの成長を見守る喜びや学びを、ご支援してくださる皆さまとこれからも共有していきたいと切に願っています。今後も温かいご理解ご協力をお願いいたします。
国境なき子どもたち理事/海外事業部ディレクター
大竹綾子

20人の新しい仲間を募集します

国境なき子どもたち(KnK)が今年新たに掲げた「国境を越えてすべての子どもに教育と友情を」というビジョンの実現に向けて、この先10年、20年を共に歩んでくださる新たな仲間、ご支援者さまとして、マンスリーサポーター20名を募集いたします。世界の困難な状況にある子どもたちに今後も支援を届けられますよう、これを機にぜひお申込みください。お申込みが完了された先着20名に、カンボジアの子どもが描いた絵をプリントしたTシャツ(レディースSまたはM)を差し上げます。

【お申込み方法】

こちらより必要事項、メッセージ欄に「20人のマンスリーサポーター」、Tシャツ希望サイズ「S」または「M」をお書添えのうえ、お申込みください。

※申込確認後にTシャツをお送りいたします。図柄が変わる可能性もございます。予めご了承ください。

20年間の感謝を込めて

現在発行中のニュースレター第82号では、20年間の感謝を込めて、創設者ドミニク・レギュイエの想いをお伝えしております。
お読みになりたい方は、ぜひご請求ください。

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