2013/05/02
友情のレポーターから、カンボジアでの取材を終えた感想が届きました。
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2013年春休み友情のレポーターの後藤要です。
僕は今回体調を崩し、カンボジアの病院で入院しました。
3日目
アンコールワットのバイヨンで取材をした時はもう体調が悪く、頭がくらくらしてだるさがありました。取材をしていたのにも関わらず、相手の顔を見られませんでした。
4日目
みんなが「若者の家」の歓迎会で楽しそうにご飯を食べたり踊ったりしている中、僕はひとりで寝ていました。すごく悲しかったのですが、たまに何人かの子が僕のところに来てくれて、“旅の指差し会話帳”を使い会話をしました。少しだけ意思疎通ができてうれしかったです。
5日目から入院し、6日目には大きな病院へ移りました。
しかし、なんとそこに「若者の家」のみんながお見舞いに来てくれました!
“指さし会話帳”を使って色々な会話をしました。
遊びの事、恋人の事、ご飯の事・・・
すごくうれしかったです!少し体が楽になった気がしました。
帰る時に、みんなが「またね!」と軽い挨拶をしてきたので、僕もこれが最後になるとは思わず軽い挨拶を返しました。
今思うと、もっと丁寧に挨拶をして別れればよかったのに….と後悔しています。
夜になり、お医者さんが来て診断結果を言いました。
この病院では分からないのでシェムリアップにあるもっと大きい病院に行くとのことです。
僕はそこで気づきました。僕はもう若者の家のみんなと会えないと。それを聞いてすごく悔しかったです。だってお別れも言えていないし、取材も半端にしかできていません。明日は家庭訪問でみんなの過去の話が聞けます。楽しみにしていたことの一つだし、取材が沢山できるチャンスです。しかし、病気のままでは取材ができません。
しかたがないので、とても嫌でしたがシェムリアップに行くことにしました。
みんなが見送ってくれて、とくに仲良くなったソッチェンは笑顔で見送ってくれました。
7日目
やっとこの日に退院することができました。しかし、入院中の4日間ずっと寝ていたのですぐにはまっすぐ歩けません。しかもすぐに息が切れるし、立ち上がると立ちくらみが起きます。
日本に帰ってからも1週間はフラフラでした。
僕がカンボジアに行って思ったことは、言葉の大切さです。
行く前は笑顔さえあれば身振り手振りで大丈夫だと思っていましたが、実際に行ってみると現実は違いました。
お医者さんや看護婦さんが何か言っても、KnKの同行スタッフがいないと言葉が分からず、お医者さんも困ってしまいました。
このことから言葉は大事なのだなとすごく実感しました。これからは英語を話せるようになるために、授業を今以上に頑張って受けます!!
取材ができなかった僕の為にわざわざホテルまできてくれたり、僕の病室に来てくれて励ましてくれた「若者の家」のみんな、本当にありがとうございました。
「若者の家」のみんなとは「またね!」と言って別れたので、僕は絶対にまた会いに行きます。
その時に必ず 「クニョム サバーイテッ チョンポーカー チュープ ネアック ティエット」
(またあなたに会えてうれしいです)といいます。
昨年の友情のレポーターは春休みにフィリピンを取材しました。その際のレポート全文(PDF)はこちらからご覧いただけます。