活動ニュース

Jordan Report ~初めてのシリア難民取材~

2014/03/28

こんにちは。2014年春休み友情のレポーターの佐々木千夏です。

ヨルダンに到着して、初めて取材をした25日(火)は朝から日差しが強く、乾燥して砂嵐が巻き起こっていました。

この日はヨルダンの首都、アンマンの郊外で暮らすシリア難民家庭を訪問しました。シリアから難民として逃げてきた後、アンマン郊外に家を借りて暮らしている家庭です。私たちは車に乗り込み、東アンマンへ向かいました。東アンマンには比較的貧困層が多いそうで、工場が立ち並び煙臭いような埃っぽい風が吹いています。 車を走らせてしばらくすると工場地帯を抜け、子どもたちが集団で歩いているところを見かけました。みんな不思議そうな顔をしてこちらを見ていました。中には笑顔で手を振ってくれる子もいて、こちらも笑顔で手を振りました。 日本人が珍しいのかカメラを向けてくる子どももいます。みんなニコニコと近寄ってきます。こちらがカメラを向けると、いい笑顔をします。真っ青な晴天の元で子どもたちの笑顔はきらきらと眩しかったです。

140328_001

1軒目のお宅ではまず旦那さんが出迎えてくれました。家に入ると奥さんが笑顔で「サラーム(こんにちは)」と声をかけてくださいました。腕には1歳くらいの赤ちゃんが抱っこされていました。 ヨルダンに来て初めての取材です。私たちレポーターはやや緊張した面持ちでマイクを握りました。私が先に質問したので、最初はなんだか相手の目をしっかり見ることができず、多分目が泳いでいたと思います。

140328_002
シリアの厳しい状況から逃れ、国境を越えヨルダンに避難した後には、一度ヨルダン北部にあるザアタリ難民キャンプで生活をしていたそうです。しかし、この家庭ではまだ1歳と3か月の幼い娘さんが病気になってしまい、衛生状況や病院が近くに無いなどの環境的要因からキャンプを出てきたとのことでした。私が一番印象的だったのは、旦那さんが一度逮捕されてしまい、逃げてきた時の話です。反政府側の意見を持った旦那さんはそれだけで逮捕されてしまった挙句、拷問され、手の甲に深い傷を負い、それで死んだと思われて放置されていたところを命からがら逃げたしたそうです。今も体調は回復したわけではなく、仕事も出来ないので金銭的にも苦しいと聞きました。 
奥さんは、娘さんが小学校に行く年齢になる頃までにはシリアの情勢が安定して、無事に故郷シリアの学校に通えることを望んでいると教えてくれました。私も、同じようにそうなるといいなと思いました。

140328_003

2軒目の家庭はまず住居の環境が印象的でした。 日本人の感覚でそれは家とはお世辞にも言えないようなところで、地下倉庫のように湿ったひんやりとした場所でした。お父さんが難民キャンプの衛生状況が芳しくなく、子どもの安全面でもキャンプを出ることを決意したと言っていましたが、今の住んでいるところもあまり環境が良くないので家を探し続けているそうです。どの家庭にも言えることは、キャンプを出ると配給などの支援がなくなるので金銭面で苦しんでいるということです。シリアから避難してきた人たちがヨルダンで働き口を見つけることは困難を極めているのが現状です。体は無事で逃げてきても結局生きていくための最低限のことが確保できない、そんな逃れられない現実がそこにはありました。

140328_004

3軒目は比較的生活環境は良い家庭でした。とはいえ、家賃と収入の比率が成り立っておらず、現実は苦しいものでした。そんな中でも子どもたちもみんな明るく、仲の良い家庭でした。後からお母さんに聞いた話では息子さんを失っていたりと、とても辛い思いをしてきたのに、温かい家族が確かにそこにはありました。

140328_005
私が必ず質問してきた「あなたにとっての家族とはなんですか」という質問に対してお母さんが「一緒に居られることが幸せです」と微笑んでくれました。私も家族を思い出し、とても温かい気持ちになりました。
どの家庭も難民キャンプを出た理由が衛生状況であったり、学校に満足に通えなかったりと、キャンプでの不便な生活がよく伝わってきました。それでもやはりキャンプを出ても苦しい生活には変わりないのです。本当に彼らが安心して暮らせるのは故郷シリアでしかないのだと感じた1日でした。

140328_006

◇◆◇ ヨルダンのシリア難民キャンプってどんなところ? ◇◆◇

昨年の友情のレポーターは春休みにカンボジアを取材しました。その際のレポート全文(PDF)はこちらからご覧いただけます。

 

 

寄付する
寄付する
資料請求

カテゴリー

月別アーカイブ