スタッフ日記 認定NPO法人国境なき子どもたちブログ

芸術家がやってくる

こんにちは。シリア難民支援 現地事業総括の松永です。

この度、認定NPO法人ジャパン・プラットフォーム(JPF)の「JPF×ART」企画の招聘でいらしていた、芸術家、奈良美智さんに、ザアタリキャンプ内の学校で授業をしていただきました。

ザアタリ難民キャンプの事業では、キャリア教育を実施しています。

子どもたちが将来について思い描くとき、「5年、6年という年月をキャンプで過ごすことが、彼らの夢の選択肢を狭めている」という事実が、子どもたちの描く将来の夢から見えてきたことが、この授業を取り入れたきっかけでした。

今まで、キャリア教育の授業では、キャンプ内に住む大人たちから、キャンプでの仕事の話を聞いてきたり、シリアでしていた職業の話を聞き取り、発表したりしてきました。

しかし、キャンプの外からどなたか呼びたい、というリクエストは以前からありましたが、現実には様々な難しさがあり、実現できませんでした。

奈良さんがザアタリキャンプにやってくる。

この機会に、子どもたちには、本物の芸術家からの話をぜひ聞かせてあげたい、と思いました。

ただ、海外からいらっしゃる方に話をしていただく時、問題になるのは通訳でした。何となく伝わる、という程度の通訳では、来ていただいた方にも、子どもたちにも失礼にあたる、そう常々思っていました。

今回の招聘には通訳に山崎やよいさんという、シリア方言に精通した日本語—アラビア語の通訳が直接可能な方が来てくださる、と聞き、この機会を逃してはならないと、子ども向けに仕事の話をしていただきました。

どんな話をなさるのか、授業が始まるまで知らないまま、教員サイドも講義を楽しみに、当日を迎えました。

当日は視聴覚室を使うため、教室のスペースに限界がありました。そのため、絵に関心があり、話を聞いてみたい、という子どもたちのみの参加となりましたが、授業が実施された午前中の女子シフトで、教室は女子生徒でいっぱいとなりました。

奈良さんが見せてくださった初めの方のスライドは、奈良さんの育った青森の昔の、写真たちでした。

日本という言葉を耳にする時、こちらの人たちは、ヨルダン人もシリア人も皆、先進国として、テクノロジーが発達し、質のいい製品を作れる、経済的にも豊かな、発展した国だ、というイメージを持っています。

事実、そういう側面もありますが、今もまだ、そして奈良さんが育った50~60年前にも、彼らのイメージとは異なる世界が広がっていました。

荷をひく馬車、雪に埋もれた田舎の景色を、子どもたちは不思議そうに、見ていました。

過去の景色の写真は、奈良さんの現在の作品の基がどこにあるのか、を、子どもたちに知ってもらうためだったようです。

風景の写真から、次第に若い頃の作品、そして現在の作品へと、スライドは変わっていきます。

淡々とお話をされる奈良さんの言葉には、一人の人が、絵画や彫刻を通して表現する、という過程を、ごく自然に感じ取ることができる何かが、ありました。

作品について語る時、言葉になりづらいものは、往々にしてあることかと思います。

でも、そのような難しさや説明する無粋さと、伝えたいこととのギリギリの境界線を、見極めていらっしゃるように感じました。最低限の補足的な言葉とともに、映し出される作品から、子どもたちは何かを感じたようです。

「質問はありますか?」という奈良さんの声がけに、子どもたちが大勢、手を挙げました。

子どもたちは、素直に疑問に思ったことを、質問していました。子どもらしい、直球な質問に、そんなことを聞いて答えてもらえるのかしら、と思う場面もありましたが、奈良さんは一つ一つの質問に、考え、伝わりやすいシンプルな言葉を使って、本当に丁寧に、答えてらっしゃいました。

個人的には、一つ、印象深い質問からの返答が、ありました。

大きな犬の彫像の作品を紹介した折、本当は猫が好きなんだけど、とおっしゃっていた奈良さんに、「なんで犬を作るんですか?」という質問が子どもからきました。

飼っていた犬がさっぱり云うことを聞かない犬で、捨ててこい、と親御さんに言われた幼少期の奈良さんは、泣きながら犬を捨てに行った、そのことを今でも申し訳ないと思っている、と答えられました。

何かを作るときに、どんなことがきっかけで作品にするのかは、人によって異なります。でも、このお話から、子どもたちもきっと、ごく近しい、自分の周り、もしくは自分に起こったこと、そこから感じたことを表現する、と云うことの大切さを、知ることになったかと思います。

小さな頃に、何か大事なものを手放さなくてはならなかった経験は、きっと誰にでもあるかと思います。キャンプの子どもたちには、もっと大事なこと、また大事な人やもの、記憶もまた、手放さなくてはならない場面があったことでしょう。

奈良さんのお話しは、その時の思いをずっと大切に抱き続けて、とても親密な、そして普遍性のある感情の基を表現していること、そして、決して激しい表現方法ではなく、静かにうつむく犬の姿に、とかく動静がはっきりしていて、動的なものや、短絡的な表現がもてはやされている彼らの周辺に、新しい表現方法を示唆しているようにも、思えました。

芸術家になる、というのは、なかなか壮大な夢、とも言えます。

ただ、何かを表現したい、という気持ちは、誰でも持っています。

表現を受け取る相手は、もしかしたら伝える方法や情報の乗せ方によって変わってくるかもしれませんし、知名度によっても変わってくるかもしれません。

有名にならなければ、うまく情報に乗らなければ、遠くの人たちにまで表現を伝えることはできないかもしれません。

ただ、もっと身近にも、気持ちや事柄を伝えたい相手は、いるかもしれません。また、自分自身のために、何かを作ることも、あるかもしれません。

そんな時、講義を聞いた子どもたちが、絵もまた、一つの方法であるということに気づくきっかけになったのではないか、とも、感じました。

子どもたちが自分の描いた絵を、奈良さんに見せている様子を見ながら、描くことが、彼らの日々の暮らしの糧の一つになることを、願っていました。

 

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